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横浜地方裁判所 平成7年(行ウ)29号 判決 1998年1月27日

原告

金子幸代こと平山幸代

右訴訟代理人弁護士

伊藤幹郎

芳野直子

杉本朗

栗山博史

井上啓

金子正嗣

町川智康

横山國男

岡田尚

飯田伸一

小島周一

三木恵美子

山崎健一

山田泰

根岸義道

影山秀人

高橋宏

菅野善夫

同(復代理)

田中泰雄

被告

神奈川県教育委員会

右代表者委員長

伊香輪恒男

被告

神奈川県

右代表者知事

岡崎洋

右両名訴訟代理人弁護士

福田恆二

同指定代理人

斎藤計好

井森佳和

安西保行

野口誠之

宮澤明彦

巴靖章

河合宏

早川英雄

右当事者間の頭書事件について、当裁判所は、平成九年九月三〇日終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一本件請求

原告は、被告神奈川県教育委員会(被告教育委員会という。)によって任用された神奈川県立外語短期大学(外語短大という。)の専任講師であったところ、同被告は、平成七年四月五日、原告に対し、神奈川県立学校教員を免ずる旨の分限免職処分(本件処分という。)をしたが、右処分は権限なくしてなされたものであること、処分事由がないこと、手続に瑕疵(裁量権の濫用を含む。)があること及び不当な目的でなされたものであることを理由に違法であると主張して、本件処分の取消しを求め、被告神奈川県に対しては、同被告の公務員である外語短大の教授によってなされた教授会の決議、教育委員によってなされた被告教育委員会の審議及び外語短大の岡垣憲尚学長(岡垣学長という。)によって不必要な範囲にまでなされた本件処分の告知により、精神的損害を受け、教育者及び研究者としての信用を毀損されたと主張して、国家賠償法一条に基づき、右の損害を填補するのに相当な金員として五〇〇万円及びこれに対する違法行為の日である平成七年四月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めている。

第二事案の概要

一  争いのない事実及び確実な書証により明らかに認められる事実

1  原告は、昭和五一年三月文教大学教育学部中等教育課程国語専攻を卒業し、昭和五三年お茶の水女子大学大学院人文科学研究科日本文学専攻修士課程を修了し、平成二年四月被告教育委員会により公立学校教員(外語短大専任講師)として任用された神奈川県の公務員である(<証拠略>)。

2  外語短大は、語学教育と経済関係科目の教育を中心とした短期大学として開設の準備が進められ、昭和四三年二月に設立の認可を受け、同年四月一日に、外国語及び貿易に関する理論と実際を教授研究し、もって社会的に有能な人材を育成することを目的として開設された、英語科のみの単科の短期大学であり、横浜市磯子区<以下略>に所在している(<証拠略>)。

3  外語短大は、平成七年三月二二日臨時教授会を開催し、同教授会において、原告を分限免職とする旨決議し、そのころその旨被告教育委員会に内申した(<証拠略>)。

これを受け、被告教育委員会は、平成七年四月五日、原告を地方公務員法(地公法という。)二八条一項一号及び三号により神奈川県公立学校教員を免ずる旨の分限免職処分(本件処分)をした(<証拠略>)。

4(一)  外語短大の学則は、次のとおり定めている(<証拠略>)。

(目的)

第一条 神奈川県立外語短期大学は、教育基本法(昭和二二年法律第二五号)及び学校教育法(昭和二二年法律第二六号)の規定に基づき広く一般教養を高めるとともに、外国語及び貿易に関する理論と実際を教授研究し、もって社会的に有能な人材を育成することを目的とする。

(学科、入学定員及び収容定員)

第二条の二 本学の学科、入学定員及び収容定員は、次のとおりとする。

学科 入学定員 収容定員

英語科 一〇〇人 二〇〇人

(教授会)

第三〇条 本学に教授会を置く。

2 教授会に関する事項は、別に定める。

(二)  外語短大の教授会規程は、次のとおり定めている(<証拠略>)。

(設置)

第一条 学校教育法(昭和二二年法律第二六号)第五九条、神奈川県立外語短期大学条例施行規則(昭和四三年神奈川県教育委員会規則第三号)第八条及び神奈川県立外語短期大学学則(昭和四三年)第三〇条の規定に基づきこの規程を定める。

(構成)

第二条 神奈川県立外語短期大学教授会(以下「教授会」という。)は、学長、教授、助教授及び専任の講師をもって構成する。

(2 略)

(招集等)

第三条 教授会は、学長が招集し、議長となる。

(2 略)

(議案の提出)

第四条 教授会の議案は、議長がこれを提出する。

(会議)

第五条 定例の教授会は、月一回開くものとする。ただし、学長が必要と認めるときは、臨時に教授会を開くことができる。

(2及び3 略)

(付議事項)

第六条 次に掲げる事項は、教授会に付議しなければならない。

((1)及び(2) 略)

(3) 教員の人事に関すること。

((4)ないし(9) 略)

(10) その他教育、研究及び運営に関する重要事項。

(定足数)

第七条 教授会は、構成員の三分の二以上の出席がなければ会議を開くことができない。

2 構成員で国外に在る者、又は傷病その他の事由により二か月以上教授会に出席できない者があるときは、その期間中その者を構成員として算入しない。

(議決)

第八条 議事は、出席構成員の過半数の同意をもって議決する。ただし、賛否同数の場合は議長がこれを決する。

2 教員の人事その他重要と認められる事項については、前項の規定にかかわらず出席構成員の三分の二以上の同意をもって議決する。

(委員会の設置)

第一一条 本学運営上必要がある場合は、教授会に委員会を設置することができる。

(教授会の事務)

第一二条 教授会の事務は、事務局が行う。

(議事録)

第一三条 教授会に議事録を備え、議事事項を記録し、教授会の確認を受けるものとする。

(2及び3 略)

(開催の通知)

第一四条 教授会を招集するときは、五日前までに通知するものとする。

ただし、緊急を要する場合は、この限りでない。

5  外語短大では、昭和六〇年度から平成二年度までは木村正俊(木村教授又は木村学長という。)が、平成三年度は岡田辰雄(岡田教授又は岡田学長という。)が、平成四年度からは岡垣憲尚(岡垣学長。岡垣学長を岡垣教授ともいう。)がそれぞれ学長を務めていた。

6  原告は、平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで職務専念義務の免除を受けて、在外研究に従事した。

二  争点

1  被告教育委員会は、本件処分をする権限を有するか、否か。

2  本件処分について処分事由が存在するか、否か。

3  本件処分を行う手続に瑕疵が存在するか、否か。

4  本件処分が原告を排除する不当な目的のもとになされたか、否か。

5  本件処分に至る経緯及び本件処分後の事情に原告に対する不法行為を構成する事実があるか、否か。

三  争点に関する当事者の主張<略>

第三争点に対する判断

一  争点1(被告教育委員会の処分権限の有無)について

1  地方教育行政法二四条一号は、地方公共団体の長は大学の教育に関する事務を管理し、執行する旨定め、同法三二条は、学校その他の教育機関のうち大学は地方公共団体の長が所管し、その他のものは教育委員会が所管する旨定めている。また、教特法一〇条は、大学の教員の任用、免職、休職、復職、退職及び懲戒処分は、大学管理機関の申出に基づいて、任命権者が行うと定めているが、同法附則二五条一項四号、二項によると、当分の間、右「大学管理機関」とあるのは「学長」と、「任命権者」とあるのは、公立大学の教員については「地方公共団体の長」と読み替えることとされているから、当分の間、公立の大学の教員の任用、免職、休職、復職、退職及び懲戒処分は、学長の申出に基づいて地方公共団体の長が行う権限を有するものである。

2  ところで、地方自治法一八〇条の二は、「普通地方公共団体の長は、その権限に属する事務の一部を、当該普通地方公共団体の委員会又は委員と協議して、普通地方公共団体の委員会、委員会の委員長、委員若しくはこれらの執行機関の事務を補助する職員若しくはこれらの執行機関の管理に属する機関の職員に委任し、又はこれらの執行機関の事務を補助する職員若しくはこれらの執行機関の管理に属する機関の職員をして補助執行させることができる。」と規定している。これは、普通地方公共団体の長以外の執行機関である委員会又は委員は、普通地方公共団体の一体性を図る見地から、法律に特別の定めのない限り予算執行権等の権限を有しない(同法一八〇条の六)のであるが、他方において普通地方公共団体は、無用な機構の重複を避けて組織及び運営の合理化に努め、最小の経費で最大の効果を挙げること、すなわち、住民負担の軽減を図り行政能率を向上させることが要請されていることから、長の権限に属する事務の一部を教育委員会、委員又はその補助職員が受任又は補助執行できるものとし、普通地方公共団体における行政の能率的処理と一体性の保持とに寄与させようとするものである。しかし、地方自治法は、執行機関たる委員会又は委員もそれぞれの所掌事務と権限に相応しい組織によってその事務が処理されることを予定しているのである(同法一三八条の三)から、行政能率向上、行政の一体性確保のための委任等に関する右規定の趣旨からすれば、どのような性質の事務であっても委任することができるのではなく、執行機関たる当該委員会又は委員本来の事務の執行に直接関連のあるものについて委任が行われるべきものである。しかして、大学に関する事務は、教育に関する事務として教育委員会本来の事務に直接に関連する事務といえるから、大学に関する事務は、地方自治法一八〇条の二の委任になじむ事項というべきである。なお、大学とその他の教育機関とを分けて権限の所在及び所管を定めている地方教育行政法二四条一号及び三二条も、普通地方公共団体の長による委任を排除する趣旨とは解されない。

2(ママ) これを本件についてみるに、(証拠略)によると、被告神奈川県の当時の内山岩太郎知事(内山知事という。)は、昭和四〇年九月九日、被告教育委員会に対し、衛生及び看護に関する高度な専門技術者の養成並びに貿易及び外国語に係る学科についての専門教育を修得した産業人の養成をはかることを目的とする短期大学を設置するに当たって、右の教育効果の一層の向上を図るべく、被告教育委員会に右の事務を委任するため、地方自治法一八〇条の二の規定に基づき協議を申し入れたところ、被告教育委員会は、同月二一日、これに異議がない旨回答したこと、しかして、内山知事は、同月二二日、被告教育委員会に対し、衛生及び看護に関する短期大学並びに貿易及び外国語に関する短期大学の設置、管理及び運営に関する事務を委任したこと、昭和四一年六月に被告神奈川県の教育庁管理部内に短期大学設立準備室が設置され、昭和四二年五月校舎の起工式が行われ、同年一〇月、神奈川県立外語短期大学条例が公布されたこと、及び当時の津田文吾知事は、昭和四三年二月一六日、地方自治法一八〇条の二の規定に基づいて外語短大の管理及び運営に関する事務を被告教育委員会に委任し、神奈川県公報において同日告示されたことが認められる。

右認定の事実によると、神奈川県知事の外語短大の管理及び運営に関する事務は、被告教育委員会に対して有効に委任されているということができ、被告教育委員会は本件処分をする権限を有していると認められる。

二  争点2(処分事由の存否)について

1  前記第二の一の事実に後掲各証拠を併せると、原告の任用から免職までの経緯(争いのない事実を含む。)は、次のとおりであると認められ、各認定事実の末尾に特に指摘するほか、右認定に反する証拠は、右認定事実及びその認定に供した証拠関係に照らして、採用することができない。

(一) 原告の経歴

原告は、昭和二九年二月一七日出生し、昭和四七年三月に埼玉県立浦和第一女子高等学校を、昭和五一年三月に文教大学教育学部中等教育課程国語専攻をそれぞれ卒業し、昭和五三年三月にお茶の水女子大学大学院人文科学研究科日本文学専攻修士課程を修了した文学修士であるが、昭和五三年四月から昭和五五年三月まで山形女子短期大学城北女子高等学校講師を、昭和五四年四月から昭和五九年三月までは日本大学付属山形高等学校講師を務めた。この間、昭和五六年四月から昭和五八年三月まで休職して、ドイツ連邦共和国ボン大学研究生としてドイツ語、中国語及び比較文学を専攻した。その後、昭和五九年四月から昭和六一年三月まで、日本大学附属桜丘高等学校講師及び東京女学館高等学校講師を兼任し、昭和六一年四月から平成二年三月まで文教大学経営情報専門学校専任講師、平成元年四月から平成四年三月まで明治大学講師、平成二年四月から平成三年三月まで法政大学講師、平成三年四月から平成四年三月まで鶴見大学講師、平成五年三月から文教大学女子短期大学部講師を務めていた。(<証拠略>)

(二) 外語短大が原告を採用するに至った経緯

(1) 外語短大では、国語関係科目に関しては、昭和六〇年までは高木博が「国語表現法」及び「文学」の二科目を担当する専任教員として在籍していたが、高木博の退職後は、国語関連科目に関しての専任教員が在籍していなかったため、フェリス女学院大学に在籍する宮坂講師が「国語表現法」及び「文学」の二科目を担当し、更に、学外の講師ではあったが入学試験の国語の問題作成をも行っていた。このような事情から、外語短大としても、国語関連科目の授業を担当し、入試問題の作成も行う国語担当の専任教員が必要であると認識されており、昭和六〇年ころから被告神奈川県に対し、国語担当教員の採用を要望していた。(<証拠略>)

一方、我が国においては、国際化、情報化が進み、国内外において日本語に関心が高まるようになり、大学でも日本語関係の講座が増えていた。つまり、従来の「国語」としてではなく、外側から見た「日本語」を外国語と比較講究することにより、その論理構造や用法等を客観的、科学的に考える手法が注目されるようになっていた。外語短大においても、一八歳大学入学人口の急増が見込まれる状況下において、時代に遅れないよう、「将来計画具体化検討委員会」を設置して、学内改革を行う動きにあった。学生の中にも、コミュニケーション言語としての日本語を学びたいという需要が高まり、また、学生や聴講生の中にも、外国人や外国生活が長いために日本語が必ずしも十分に理解できない日本人が次第に増加し、これらの者から日本語を学びたいとの需要も増加していた。右のような事情から、<1>入学定員を八〇名から一〇〇名に増員すること、<2>中国語を新設すること及び<3>日本語関係科目の増設と充実を図ることの三点が改革の大きな柱となっていた。特に、日本語関係科目に関しては、外語短大は外国語の習得と外国文化の理解、摂取を教育、研究の中心におくことを目的としたものであるが、自国と他国との言語、文化の対比が双方の言語、文化の理解を深めるのに有効であるとの観点から、従来の国語関係科目を「日本語」の学習に重点を置いたものに変革することとなった。(<証拠略>)

そこで、外語短大は、従来の「日本語表現法」「日本文学」に加えて「日本語」及び「日本語教授法」の二科目を新設した上、これら四科目を担当すること及び入試問題の作成をすることを条件に専任教員一名を新規に採用することを設置者である被告神奈川県に要求した。右要求は、平成二年度予算で認められることになったが、被告神奈川県からは、教員数は文部省の短大設置基準数より大幅に多いので、各教員がもっと多くの科目を担当するよう条件が付けられた。(<証拠略>)

そして、木村学長は、人事委員会には出席しなかったものの、人事委員長及び各委員と密に連絡を取り、相談し合い、日本語関係科目の専任教員として適任の教員を採用するために十全の対策を立て、担当科目数、コマ数に関しては、担当コマ数を増やすようにという被告神奈川県の意向と学内のバランスを勘案し、少なくとも「日本語」「日本語表現法」「日本文学」及び「日本語教授法」を担当することとした上、更に余裕があれば「特別演習」を担当することと考えていた(<証拠略>)。

(2) そこで、外語短大は、平成元年六月七日の教授会において、教育課程の改編に関連して、日本語関連科目の担当につき、次の資料を参考として議論した(<証拠略>)。

「国語関連科目について(案)

1 新設し関連科目に加えるもの

日本語、日本語教授法…講義科目、半期各二単位(二年次)

2  科目名称等の変更を伴うもの

(現) 国語表現法…講義科目、半期二単位(一年次)

(新) 日本語表現法…演習科目、通年二単位(一年次)

3  一般教育科目の文字Ⅰ(日本文学)については現状どおり

講義科目、半期二単位(一年次)

4  特別演習に国語関係の演習を加える。

演習科目、通年二単位(二年次)」

まず議長である木村学長が、右の資料に基づいて説明し、「国語関連科目の日本語表現法を絶対に必要だということであれば、必修にすべきではないか。」との質問もあったが、「必修にするか、選択にするかまでは議論しなかった。」との意見が出され、木村学長は、「必修か選択かについては、演習を一年やった後で考えてはどうか。必修にするとカリキュラムが大変なのでしばらく様子を見たい。また、日本語、日本語教授法の科目名についてはどうか。いずれ、学則の改正で再度提案するようにしますか。」と述べた。教務委員長は、「国語関連科目で演習を除く四科目を一人で担当するとして、この中で主たるものはどれなのか、重点をどこにするかという問題がある。」と問いかけ、教務委員の一人からは、「四科目ともみんなよくできる人を採用するのか、それとも浅く一通り全部できる人を採用するのか。後の場合は危険である。」との意見が出された。木村学長は、「文学を専攻して文法はよくできるが、日本語教授法となるとどうかという問題もでてくる。」と述べた。また、「日本語教授法は、外国人に対するものなのか。」との質問に対しては、「日本語教授法は、外国人に日本語を教えるものです。専任教員がだめなら非常勤講師でよいという考えもある。」との答えがあり、議長が、「日本語教授法はカリキュラムの一つとして設置することはどうか。採用する先生によっては担当できない場合もあると思うが。」と問題を提起したところ、「日本語については、文学の方面から考える人と、言語の方面から考える人がいるので今決めることはできないのではないか。」との発言があった。木村学長が、「まず、最初に国語関連科目を設置したい。」と方針を明らかにしたところ、「演習を除く四科目について一人の先生を予定しているのか。」との問いがあり、これに対して木村学長は、「一人の先生です。」と答えて、一人の教員で四科目を担当することを予定している旨明らかにした。その後、国語関連科目については、特に異議はなく承認された。(<証拠略>)

(3) その後、平成元年八月二日の教授会で、学則の改正及びそれに伴う日本語関連科目の専任教員の募集に関して話し合われた。まず学則については、外国語として中国語が設けられること及び専門教育科目中の「国語表現法」を「日本語表現法」にあらため、さらに「日本語」「日本語教授法」を追加することについて承認が得られた。また、右に伴う日本語関連科目の専任教員の募集に関しては、木村学長から、公募の方法について提案があり、続いて人事委員長から次のとおり説明された。

1  募集方法については公募方式とする。

2  採用予定者については、年齢や地位について限定しないこととし、選考の段階で判断する。

3  担当科目については四科目を明示するが、入試問題の作成、特別演習等については最終選考の時に確認する。

4  提出期限については、一一月の教授会で決定できるように一〇月一六日とする。

5  提出書類は、外語短大指定の様式で提出を受けるようにする。

6  問い合わせ先は、管理課長一人に集約する。

7  公募先については、国公立大学は首都圏の五大学と北海道を除く全国の拠点校とし、私立大学は、都内の六大学とする。

そして、質疑応答が行われたが、公募する大学について質疑応答があった後、入試問題の作成、担当授業等にも議論が及び、「公募に際し、入試問題作成については記載しなくてもよいか。」との質問もなされたが、「履修者の数によっては、コマ数が増える場合もあり、特別演習等いちいち記載すると重圧になるし、細かいことは面接の時に話したい。」「入試問題作成者については、前もって決めておくことはよくないし、また、作問者の公表につながるおそれもあるので削除した。」との人事委員長の説明で教授会の了解が得られた。(<証拠略>)

その結果、右教授会において、公募先へ送付する「専任教員の公募について(依頼)」と題する書面(公募書面という。<証拠略>)が決定された。右の公募書面には、次の記載がある(<証拠略>)。

「1 採用予定者 専任教員一名(教授、助教授または講師)

2 担当科目

(1) 日本語、(2) 日本語表現法、(3) 日本語教授法、(4) 日本文学注:(1)、(2)は必ず担当のこと。

3 採用予定日 平成二年四月一日

4 応募資格

(1) 国語・国文学、日本語・日本文学を専攻した者

(2) 大学院修士課程修了またはそれと同等以上の資格を有すると認められる者

5 提出期限 平成元年一〇月一六日(月)必着のこと。

6 提出書類

(1) 履歴書

「氏名、生年月日、年齢、性別、現住所、学歴、職歴、賞罰、取得学位、学会および社会的活動」

(2) 研究業績

「著書・論文等の題名、発行所または発表雑誌名、発表年月、簡単な内容の説明」

(3) 主要な著書または論文(終了後返却)

以上のうち、(1)、(2)については、本学所定の用紙をご請求ください。

(以下 略) 」

なお、右の2には「注:(1)、(2)は必ず担当のこと」との記載があるが、これは、公募が八月二日という研究者の目に触れにくい時期であったため、幅広く応募者を募り、できるだけ多くの人を面接し、その段階でこの四科目を担当できるかどうかについて直接面接で確かめ、担当できるあるいは担当する意思があると答えた者を採用するという前提で記載したものであった(<証拠略>)。

(4) 同年一〇月一六日に応募が締め切られ、一八名の応募があった。人事委員会は、同月一八日及び二五日に委員会を開催し、学歴、教歴、業績及び適格性の各項目から四名を選考し、更にそのうち、原告、平林香織(平林という。)及び他大学で助教授をしていた荻原雄一(荻原という。)の三名に絞り、更に、同年一一月一日の委員会において、右三名について面接による選考をする旨決定した。(<証拠略>)

(5) そして、同年一一月一八日、人事委員会の委員全員(岡田教授(委員長)、諏訪教授、高崎修教授(高崎教授という。)、照木健教授(照木教授という。)、三村眞人教授(三村教授という。)、山本文明教員(山本教員という。))によって、右の三名に対する採用面接が実施された。右採用面接は、「日本語等担当専任教員候補者面接要領」に従い、<1>家族構成、<2>地位(原告及び平林については専任講師とし、荻原については事前に打ち合わせる。)及び給与(被告神奈川県の給与規定による。)、<3>勤務条件(週四日を勤務日(ただし実際には三日)とし、五ないし六コマを受け持つこととする。水曜日は教授会その他の会議日とする。また、他大学の授業等の兼業は二日以内とする。)、<4>担当科目(募集条件となっている「日本語」及び「日本語表現法」の二科目のほか、「日本語教授法」及び「日本文学」の担当が可能であるか、何科目の担当が可能であるか。)、<5>入試問題作成について(国語Ⅰ及び国語Ⅱ)、<6>外語短大の教員となった場合の、教育や研究活動に関する抱負又は希望、<7>他に専任教員の応募をしているかどうか、<8>最終結果の通知の時期の指定等が質問及び説明の事項とされていた。なお、四科目全てを担当することができる、あるいは担当する意思があると答えた応募者を優先して採用することとされていたことは前認定のとおりである。(<証拠略>)

原告に対する面接においては、人事委員長である岡田教授から、「日本語」及び「日本語教授法」の担当が可能であるかとの質問がされ、原告が、全科目とも担当可能である旨答え、「日本語教授法」については、鞄から資料まで出して、ドイツで日本語を教えていたので担当でき、その方面の実績もあると述べた。また、入学試験の問題の作成についても質問がされ、原告は、「現在、文教大学経営情報専門学校でも現代文の入試問題の作成は担当しており、現代文の作成は可能です。」と述べて現代文の入学試験問題の作成ができると答えた。一方、他の応募者は、いずれも「日本語教授法」の担当ができると明言しなかった。(<証拠略>及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分、並びに<証拠略>中の右認定に符合しない部分は、右及び後記(6)の認定事実並びにそれらの認定に供した証拠関係に照らして採用することができない。)

(6) その後、同年一一月二二日に人事委員会の判定会議が行われ、岡田教授が、原告が全科目担当できる旨答えたことを引き合いに出すなど、原告が全科目担当できると答えたことが評価された。そして、六名の委員で投票の結果、原告を第一順位とする委員が四名、第二順位とする委員が二名おり、原告が最上位となり、改めて原告について適格性等を含めた賛否の投票を行った結果、委員全員の賛成により、原告を採用することについて教授会に諮ることとなった。この後、岡田教授は、木村学長に対し、「先生、よかった、よかった、四科目持ってくれる人、見つかりました。これで学校の方針に沿えます。」と述べて、日本語関連の四科目の担当者を採用する見込みができたことを伝えた。(<証拠略>)

そして、同日の教授会において、人事委員会から、採用の選考の経過、原告の経歴等が報告された上、原告を採用する決定をした旨報告された。教授会では、人事委員会の審議経過や判定に対する質疑応答がされ、入試問題の担当に関しては、最低限現代文の入試問題作成が可能であること、古文の入試問題作成については外部に委嘱することも考えられるが、入試問題作成の中心メンバーになりうること、原告本人の了解を得ていることが人事委員長の岡田教授から示された。そして、採決がされ、賛成一四票、反対一票、白紙一票となり、三分の二以上の賛成が得られたので、承認された。(<証拠略>)

(7) 平成元年一二月三日、平成二年度の教育課程案が作成され、同月一三日の教授会で承認された。これによれば、「中国語」等の新設もあったが、国語関連科目では、従来の「国語表現法」が「日本語表現法」と改称された上、「日本語」及び「日本語教授法」が追加された。原告は、前期及び後期の「文学Ⅰ」(一年次の履修)、「日本語表現法」(一年次の履修)、「日本語」(二年次の履修。前期のみ開講。)並びに「日本語教授法」(二年次の履修。後期のみ開講。)を担当することとされていた。(<証拠略>)

これは、原告の担当授業について具体的な検討もなされ、原告が専任教員として初めて赴任するためできるだけ負担を軽くすること、大学行政を知悉すること、学生教育のあり方を十分に考慮して貰うこと、学生との交流にも全力投球をするための時間的余裕を確保することなどが考慮され、「日本語」及び「日本語教授法」の授業に関しては、配当年次は二年次生とすること、新規開講科目であるため新二年次生(本人就任二年目)を対象とすること、原告の就任一年目の担当科目数を二科目程度とすることとされたのである。(<証拠略>)

(8) 三村教授は、平成元年一二月ないし平成二年一月ころ、担当科目等について原告と打ち合わせをした。この席上、三村教授から原告に対しては、初年度は「日本文学」及び「日本語表現法」の授業を担当し、翌平成三年度からは「日本語」及び「日本語教授法」が加わることが説明された。このほか、「特別演習」の授業を担当し、森鴎(ママ)外の作品について研究することとされた。また、原告には、教務委員長である三村教授の責任で、平成二年度の教育課程が渡されていた。右の教育課程には、原告が日本語関連の四科目の担当とされている旨記載されていた。外語短大の教務課からは、平成二年一月二七日に、時間割表(予定)が送付された。この時間割表では、月曜日第一時限及び第二時限に「日本語表現法」(一年次生配当科目・前期及び後期)、同第四時限に「文学Ⅰ」(一年次生配当科目・前期及び後期)、木曜日第四時限に「特別演習」(二年次生配当科目・前期及び後期)を担当することとされていた。(<証拠略>中、右認定に反する部分は、採用しない。)

(三)(1) 原告は、平成二年四月一日付けで外語短大の専任講師として採用された。なお、平成二年度の授業の担当については、月曜日第一時限及び第二時限に「日本語表現法」(一年次生配当科目・前期及び後期)、同第四時限に「文学Ⅰ」(一年次生配当科目・前期及び後期)、木曜日第四時限に「特別演習」(二年次生配当科目・前期及び後期)を担当することとされていた。(<証拠略>)

原告には、同年四月早々に、平成二年度の学生便覧が渡されたが、右の学生便覧中の職員名簿の原告の欄の担当科目は、「文学Ⅰ、日本語表現法、日本語、日本語教授法」と記載されていた(<証拠略>)。

(2) 原告は、新規開設科目である「日本語」及び「日本語教授法」の英文標記(英文の成績証明書に記載すべき科目の英文による標記)を教務委員会に提出するに先立ち、同年九月下旬ないし一〇月初旬ころ、前田講師に対し、英文標記の表現について相談した。前田講師は、「日本語教授法」について、理論的な概論中心の講義をするのか、より具体的な方法論の実践解説中心の講義になるのかによって、methodolo-gyとmethodsを選択すべきであると考え、原告に確認したところ、原告は、後者の授業を行うと回答した。この際、前田講師は、原告に対して、「日本語教授法」の授業も担当するのか尋ねたところ、原告は、ドイツで日本語の教師をしていた旨答え、自ら担当することには支障がない旨述べた。その結果、原告は、「日本語教授法」をWriting of Japanese、「日本語」をJapanese Language、「日本語教授法」をMe-thod of Teaching Japaneseと表記することとし、その旨教務委員会に提出したが、同年一〇月二四日に開催された同委員会において、原告の了承のもとで、Japanese LanguageがJapane-seと、Method of Teaching JapaneseがMethodology of Teaching Japane-seと修正された。その結果、成績証明書にも右の英文標記が使用された。(<証拠略>)

(3) 同年一一月ころ、原告は、教務委員長である三村教授の研究室を訪問して同教授に対し、「日本語」と「日本語教授法」とが異なるものであることを説明し、原告は、自分は「日本語」の教育を受けていないので他の者が適任であること、「日本語」はすぐには教授しかねるので、もう少し時間がほしい、四科目の担当はしばらく猶予してほしい旨述べた。三村教授は、右の要請を木村学長に伝えた。「日本語」と「日本語教授法」は二年次生の履修科目であることから、平成三年度から開講することとなっており、木村学長は、学生にカリキュラムと担当教員を明示していることから困惑し、三村教授に対し、もう一度原告と話をした上で原告に予定どおり平成三年度からの担当を要請して善処するよう指示した。しかし、三村教授から原告に対して平成三年度からの担当を要請したにもかかわらず、原告は、これを拒んだ。そこで、三村教授は、やむを得ず、「日本語」及び「日本語教授法」は新しく加えられた科目であり、まだ開講されていないため、開講年度を一年延長することは可能であると考え、教務委員会に諮った。教務委員会は、承認し、開講年度が一年延長されることになった。(<証拠略>。右認定に反する<証拠略>は採用しない。)

平成三年度の原告の担当科目は、月曜日第一時限に「日本語表現法」(一年次生配当科目・前期及び後期)、同第二時限(前期)、第三時限(後期)に「文学Ⅰ」(一年次生配当科目)、同第四時限に「特別演習」(二年次生配当科目・前期及び後期)、木曜日第四時限に「日本語表現法」(一年次生配当科目・前期及び後期)とされていた(<証拠略>)。

(4) 平成三年春ころ、原告は、木村教授ら学内の教員に対し、平成四年度にドイツへ自費留学したいとの意向を示した。そして、原告は、平成三年五月二六日、岡田学長に在外研究の概要と計画書を提出した。もっとも、外語短大では、外国の大学又は研究所に外語短大の推薦により留学する場合は在職三年以上の専任教員であることを要するとされていたため、教員の中には賛否両論があった。(<証拠略>)

同年六月、人事委員会の承認が得られ、同年七月ころ、木村学長は、被告教育委員会に、ドイツでの在外研究のため原告の職務専念義務免除を申請した。原告も、同年八月、被告教育委員会に在外研究申請書を提出した。(<証拠略>)

同年一一月一三日、教務委員会が開催され、平成三年度において「日本語」及び「日本語教授法」が開講されていないことが問題とされた。この中で、「日本語」及び「日本語教授法」については三年続けて休講とすべきではないこと(なお、平成二年度はもともと開講予定ではなかったから、正確には「二年続けて」である。)、「日本語教授法」は学生に有益であって近時では人気もあること、学生からも「日本語」及び「日本語教授法」の開講を希望する声があること、原告も「日本語教授法」の担当を条件として採用されたものであること等から、教務委員会としても「日本語」及び「日本語教授法」の講義を開講することを要望すべきであるなどとする意見が表明された。岡田学長は、原告を学長室に呼んで、「日本語」及び「日本語教授法」の授業の開講を求めたが、原告は、「日本語」は専門外であるとの理由によりこれを拒否した。そこで、岡田学長が、応募の際に持てると言ったではないか、持てなかったら契約違反だから辞めなければならない。嘘をついたことになるではないかといって諭したところ、原告は気色ばんだものの、反論しなかった。結局、原告は、「日本語」は開講することを約束したものの、「日本語教授法」については未定のままとなった。そこで、同年一二月一八日の教授会で審議された平成四年度の教育課程案には、原告が「文学Ⅰ」「特別演習」「日本語表現法」を担当するものとされたことは従前どおりであるが、更に「日本語」の担当者を原告とし、「日本語教授法」の担当者欄は空白とされていた。(<証拠略>)

被告教育委員会は、平成三年一二月ころ、原告のドイツ留学につき、原告が提出した招聘状がハイデルベルグ(ママ)大学から外語短大あてのものではなく、ハイデルベルグ(ママ)大学シャモニー教授から原告個人あてのものであったことから、これを私的なものと評価し、職務専念義務免除による外国旅行許可はできないが、休職の扱いであれば外国旅行許可が可能であると外語短大に回答した(<証拠略>)。

同年一二月二五日、学長室において、岡田学長と原告が話し合った。岡田学長は、原告に対し、被告教育委員会から在外研究について休職扱いであれば可能であると通知された旨伝えた。原告は、招聘状の不備は反省しながらも、学長から学長あての招聘状を出し直す、人事委員と相談するなどと言って在外研究への執着を見せた。岡田学長は、一番肝心の招聘状の修復は不可能だから無理をせぬことと忠告した。次に、平成四年度の授業に関して、岡田学長が「日本語」及び「日本語教授法」の授業の担当が採用条件であることを示して、右二科目の開講ができるようその授業の担当を要請したが、原告は、在外研究の件に関心が集中していたためか、採用条件の件については格別の異議を申し立てず、職務専念義務の免除を受けて在外研究に赴く姿勢を譲らず、学長から学長への招聘状で再度申請すると述べた。原告は、同日夜八時か九時ころに岡田学長宅に電話をかけ、昼間の話を繰り返し、留学ができるよう助力してくれ等といって食い下がり、同学長から夜間自宅に電話をかけた非礼をたしなめられる一幕もあった。更に、原告は、同月二七日にも岡田学長との面談を求め、県職労横浜南支部書記長及び外語短大分会長同席の上、仕事納めの式への出席を取り止めて面談に応じた同学長と話し合ったが、在外研究の件についても平成四年度の授業の担当の件についても話はまとまらなかった。(<証拠略>)

平成四年一月、原告は、岡田学長に対し、原告個人あてではない招聘状が整ったこと及びドイツにおける在外研究に大きな意義があることを主張し、在外研究のための職務専念義務免除の申請を働きかけてくれるよう依頼する同月九日付けの文書を提出した(<証拠略>)。

同月一六日、被告神奈川県は、必要書類がそろい次第職務専念義務の免除を認めるかどうかについて再検討するとの意向を示し、同月二九日に教育庁から、ファクシミリにより原告の職務専念義務免除の内示が伝えられ、同日の教務委員会において、原告の授業科目の取り扱いについて討議され、「日本語表現法」、「文学Ⅰ」、「日本語」及び「日本語教授法」の各授業については、受講希望者の増加やカリキュラムの完全実施義務を考慮すると、平成四年度を休講とすることは好ましくないとして、非常勤講師委嘱の予算要求をすることとされた。また、原告が平成四年度は海外滞在中となるため、同五年度の原告の出講等に関しては、一切を学長に一任する旨、原告から文書を提出してもらうよう学長に依頼することとされた。なお、平成四年度の教育課程上は未定となっている「日本語教授法」については、開講することで教授会に報告することとされた。(<証拠略>)

これに対し、原告は、平成四年二月三日、「日本語教授法」の授業の担当の拒否の意思を明確に示しておくため、学長及び教務委員長あてに、次のとおりの記載のある上申書を提出し、在外期間中の国内での手続を金子正嗣弁護士に委任したとし、同弁護士の連絡先をも併せて記載した(<証拠略>)。

「平成五年四月一日からの在外研究期間後の私の担当するカリキュラム、時間割等につきましては、以下のとおりとさせていただきたく、上申致します。

1 平成五年度の担当科目は、平成四年度同様、文学Ⅰ、日本語表現法、日本語及び特別演習のみを担当させていただきたく存じます。これ以外の科目担当への変更又は追加はご容赦下さい。

2 平成五年度の時間割は、例年通り月曜日、木曜日で組んでいただきたく、お願い致します。」

平成四年二月一二日午後二時四〇分から教授会が開かれた。まず、原告が在外研究のため一年間外国旅行をすることについて一同の了承があった。原告の在外研究に伴う原告の持ちゴマの非常勤講師の補充について、教務委員長の諏訪教授は、原告の持ちゴマ数が三・五コマであるため非常勤講師も三・五コマを担当すると説明したが、原告は、原告の担当科目が「文学Ⅰ」(前期後期一コマ)、「日本語表現法」(通年一コマ)、「日本語」(前期一コマ)及び「特別演習」(通年一コマ)のうち「特別演習」の一コマを除いた二・五コマが非常勤講師により担当されるものであると異議を述べ、教授会開催中に教務委員会を開催して結論を出すことになった。そして、午後四時一五分から午後四時三〇分まで事務局長室内で教務委員会が開かれ、この席上、平成四年度に必要と決定された日本語関連科目の授業科目のコマ数(前期後期をあわせ一年間に換算して一週当たり担当する平均コマ数)について、「日本語表現法」二コマ、「文学Ⅰ」〇・五コマ、「日本語」〇・五コマ及び「日本語教授法」〇・五コマ(合計三・五コマ)とされていたものが再検討された結果、平成三年度の受講者数等を考慮して、「日本語表現法」一コマ、「文学Ⅰ」一コマ、「日本語」〇・五コマ及び「日本語教授法」〇・五コマ(合計三コマ)に変更することが決定された。その後、教授会が再開され、原告の補充に係る非常勤講師の持ちゴマとして、「文学Ⅰ」(前期、後期一コマずつ)、「日本語表現法」(通年で一コマ)、「日本語」(半期で一コマ)の三科目二・五コマ(前期後期をあわせ一年間に換算して一週当たり担当する平均コマ数)について月曜日の二、三、四限で非常勤講師を募集し、併せて「日本語教授法」(半期で一コマ)についても募集することが決定された。そして、宮武潤三助教授(宮武助教授という。)からは、「日本語教授法」について原告が帰国した後も非常勤講師で対応できるのかとの質問がされ、諏訪教授は、その点は流動的であって今後煮詰めていく旨の回答がされた。(<証拠略>)

同年二月二六日、岡田学長は、原告に対し、平成四年四月一日から平成五年三月三一日までドイツ連邦共和国ハイデルベルグ(ママ)大学での森鴎(ママ)外の留学時代の調査研究のための外国旅行を、原告から提出された外国旅行計画書のとおり承認し、外国旅行承認書を原告に交付した(<証拠略>)。

原告は、神奈川県教育庁の飯田幸夫管理部長(飯田管理部長という。)に対し、平成四年二月二八日付けの書面(本判決末尾に写しを添付した<証拠略>。ただし、手書きのアルファベッド(ママ)の記載は、被告らが書証として提出するに当たり、実名を仮名とするため記載したものである。)により、在外研究の職務専念義務が免除されたことに礼を述べるとともに、原告の在外研究に反対していた三國隆志助教授(三國助教授という。)及び坂本美子助手(坂本助手という。)が原告作成の在外研究の申請の書面を持ち出したことが問題であると指摘して、右両名を教育庁に呼び出し、在外研究に何故反対するのか、右書面をどのような手段で持ち出したのかを、原告同席の上事情聴取されたきこと、学内で調査を行おうとすると揉み消し工作が行われる可能性があるとし、「公正な調査と厳正なご処置をお願い申しあげる次第です。」と伝えた(<証拠略>)。

(四)(1) 平成四年四月一日に外語短大の学長は、岡田教授から岡垣教授に代わった。この際、岡田教授から岡垣教授に対して、原告の担当科目である国語関係四科目のうち、諸般の事情で休講になっていた「日本語」についてはドイツから帰国次第担当してもらうことを申し渡し済みであること及び「日本語教授法」については様子を見て可及的速やかに担当せしめられたいとの引継ぎがなされた。(<証拠略>)

(2) 原告は、平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで、ハイデルベルク大学の日本学科の客員研究員となった。なお、この期間に、原告は、森鴎(ママ)外のドイツ留学時代(明治一五年から明治二一年まで)のドイツの演劇についての調査・研究をはじめとする森鴎(ママ)外についての研究に従事することとされていた。(<証拠略>)

(3) 岡垣学長は、原告に対し、ドイツ連邦共和国出張者への原告の接遇に対し謝意とねぎらいを表す礼状を認めているが、そのうち、平成四年八月二〇日付け書簡で、「現在、設置基準改正に伴う教育課程の見直しが行われ、『英語』については抜本的改訂案が行われる予定ですが、一般・専門科目は差当たり小規模の手直しに止まるものと思われます。」と連絡した。また、同年九月二日付けの書簡で、「次年度日本語教育法は非常勤講師で担当、金子さんは従来どおりの担当で良いことに内定しました。」と教育課程の審議状況を知らせた。さらに、同年一〇月二六日付け書簡で、「大学の方半年がかりでやうやく完成した新教育課程案が先週の教授会を通過。明年度から週休五(ママ)日制(土曜日閉校)と相俟って実施されることになります。内容は前回お知らせの通り英語科カリキュラムの改訂が主で、諏訪・前田両先生に奮闘して頂きました。他の一般・専門科目は手直し程度で貴女の担当分野については変更ありませんので、ご放念下さい。」と連絡した。(<証拠略>)

(4) 外語短大に関しては、平成四年二月ころから、設置者である被告神奈川県の監査事務局及び管理部長並びに被告教育委員会にあてて(二月二〇日には監査委員会事務局あて匿名の投書、同月二八日には教育庁管理部長あての投書、七月一五日には教育委員会あて匿名の投書、また同月二一日には監査委員会事務局あて匿名の投書。)、学内の不祥事にかかわるとして批判的な投書がされるようになっていたため、同年一一月一八日の教授会で岡垣学長は、投書の内容とされている事実関係を明らかにし、頭越しの投書頻発を防止するため、教授会に「投書等対策委員会」を設置することを提案し、可決された。そして、平成五年一月四日、「投書等対策委員会」が設置され、長友正教授、高崎教授、高橋亜細亜教授(高橋教授という。)、諏訪教授、鈴木圓蔵教授(鈴木教授という。)及び木村教授がその委員に就任した。そして、同月から調査及び審議を行った。(<証拠略>)

(5) 文部省の大学設置基準の改正に伴い、各大学で改革が行われていたところ、外語短大でも、平成四年度に教育課程について検討がされ、二年間の在学期間を四セメスターで構成する、新しいセメスター制(一年を四月から九月までの前期、一〇月から翌年三月までの後期に分け、各期をセメスターとしてすべての科目がセメスター内に終了する運営システム)が導入されることになった。すなわち、平成四年度までのカリキュラムでは、専門科目のうち英語科目、第二外国語科目及び保健体育科目のうちの「体育」が通年で運営され、一般教育科目全科、専門科目のうち貿易科目を中心とする科目及び「保健」が半期で運営されていたが、右の運営方法によると、<1>通年科目の場合は受講途中の状況となるため、学生が九月からの海外留学に出にくくなる、<2>通年科目で時間割の大半が決まってしまうため、半期開講の科目についても受講の機会が制約され、学生の科目選択の幅が少ない、<3>夏休み、冬休みなどを挟んで講義が延々と続くことは、集中力が途切れやすく授業の緊迫感が薄れる、といった問題点が指摘され、学生に受講科目選択の自由を可能な限り広く与えることを主目標の一つとして、通年科目を全廃した新しいセメスター制が導入されることになったのである。また、すべての科目を再検討し、専門科目を再分類して、学科科目として英語科目と貿易・経済科目という、二本の新しい科目分野を成立させた。これに伴い、従来専門科目であった科目のうち、この二分野に該当しないものは、保健、体育科目とともに一般教育科目とあわせ、新たに基礎・教養科目として一つの科目を構成することになった。その結果、「日本語」「日本語表現法」「日本語教授法」「特別演習」等の授業は、専門科目から基礎・教養科目に移行された。そして、学生に視点を当て、教員の負担が若干増えることを厭わない方針で臨み、学生が各セメスターにおいて選択の幅を広げることができるようにするため、基礎・教養科目を必修による受講時限指定をする科目と重ならないようにし、選択できる科目を複数同一時限に開講することとされ、特に専任教員の担当する基礎・教養科目は、科目の内容上、年次配当される科目以外はすべて各期開講されることになった。これに伴い、「日本語」も、基礎・教養科目の分類となり、専任教員の担当科目であるため、前期及び後期の両方で開講することになった。(<証拠略>)

(6) 岡垣学長は、セメスター制の導入に伴って、原告の担当科目について修正を要することが判明したため、外語短大の代表者として原告に連絡願いたいとの教務委員会の依頼に基づき、平成四年一二月二六日付け書簡で原告に対し、同年二月三日付けの原告の上申書を勘案した上、原告の担当科目を「日本語表現法」については前期二コマ、後期一コマ(平成三年度は通年二コマ)、「日本文学」については前期一コマ、後期一コマ(平成三年度と同様)、「日本語」については前期一コマ、後期一コマ(平成三年度はなし)、「特別演習」については後期一コマ(平成三年度は通年一コマ)と修正したいので、折り返し回答をほしい旨連絡した。これに対して原告は、岡垣学長に対し、平成五年一月七日付け書簡で、自分の担当科目については、在外研究中の成果を還元するため「特別演習」については、前期一コマのみではなく、後期も続けて一コマの開講とし、「日本語表現法」については前期一コマ、後期一コマ、「日本文学」については前期一コマ、後期一コマ、「日本語」については前期のみ一コマとしてほしい旨伝えた。岡垣学長は、これに対して、同年二月一日付け書簡で、原告の要望を教務委員会、教務課で検討した結果、「日本語表現法」を前期一コマ、後期一コマ(当初案より一コマ削減)、「日本文学」を前期一コマ、後期一コマ、「日本語」を前期一コマ、後期一コマ、「特別演習」を前期一コマ、後期一コマ(当初案より一コマ増加)担当してほしいこと、「日本語表現法」と「特別演習」については原告の要望を容れて敢えて異例の修正をしたものであること、「日本語」については既にカリキュラムに組込まれている関係上新たに非常勤講師を採用することができず、他の教員との担当コマ数との関係からみても後期にも一コマ担当してもらう必要があることを伝えた。原告は、同月二日付け書簡で、岡垣学長に対し、「すでに一月七日付けで平成五年度の授業につきまして、本人の了解なしに進められていることに対し、承認できない旨の御返事を申し上げましたが、どうなっておりますでしょうか。その後教務の方からの授業に関する何のご連絡もいただいておりません。納得のいく説明のないままコマいじりをされても、責任をもって授業をいたすことはできません。平成五年度、前期に日本語表現法を二コマにしたこと、日本語前期のみが後期にもあるのは了承いたしかねます。ご連絡がないので、私といたしましては平成五年度の授業につきましては私のお願い通りになったものと受け取っております。前期に特別演習がもてない場合には、その代わりに文献講読を致し、後期の特別演習に続けたく存じます。したがって、平成五年度につきましては、日本語表現法は前期後期一コマ、日本語は前期のみ一コマ、文献講読前期一コマ、特別演習後期一コマ、日本文学前期後期一コマでお願い申しあげます。」と伝えた。なお、この時点においては、岡垣学長の同月一日付けの前記書簡は原告に到達していなかったものと推認される。(<証拠略>)

(7) 平成五年二月一〇日の教授会で平成五年度の教育課程について話し合われたが、提出された教育課程案に対して異論は出なかった。その結果、平成五年度の教育課程が承認された。これによれば、原告は、一年次生の基礎・教養科目として「日本文学」の前期及び後期、「日本語」の前期及び後期、「日本語表現法」の前期及び後期を、また二年次生の一般教育科目として「文学Ⅰ」の前期及び後期、専門教育科目として「日本語」の前期及び後期、「特別演習」の通年授業をそれぞれ担当するものとされていた(なお、「日本文学」と「文学Ⅰ」は、新しい教育課程への移行のために一年次生の履修か二年次生の履修かで名称は異なるものの、同一時限に行う同内容の授業である。)。「日本語教授法」については非常勤講師による担当とされた。その後、これに基づいて平成五年度の時間割が作成され、「日本語」(一、二年次生)は前期は月曜日の第三時限、後期は木曜日の第三時限、「日本語表現法」(一年次生)は前期は木曜日の第三時限、後期は月曜日の第三時限、「日本文学」「文学Ⅰ」(一、二年次生)は、前期は木曜日の第四時限、後期は月曜日の第一時限、「特別演習」(二年次生)は前期後期とも月曜日第四時限とされた。(<証拠略>)

(8) 原告は、教務委員長の諏訪教授に対し、平成五年二月一五日付け書簡により、自分の承諾もないのにカリキュラムが変更されたとしても責任をもって授業をすることができない旨述べて、経過についての説明を求めるとともに、併せて、帰国後県知事等に研究結果等を報告する際に、「これまでの担当であった日本語表現法前期後期一コマ、日本語前期のみ一コマ、日本語前期のみ一コマ(ママ)、特別演習前期後期一コマにおいて学生に還元することを述べる所存でおります。」と書き送っている。これに対し、諏訪教授は、同月二四日付け書簡により、原告に対する連絡は学長がすることになっているので、よろしくご承知おきくださいと回答した。(<証拠略>)

原告は、臼井事務局長に対し、同月二二日付け書簡により、説明もなく科目の追加変更をされても授業はできず、平成五年度の授業は「日本語表現法」前期後期一コマ、「日本語」前期のみ一コマ、「特別演習」前期後期一コマ、「日本文学」前期後期一コマとしてもらいたいとの趣旨を伝えたが、右書簡には、「先日は光栄にも宮森副知事からもご親書をいただきました。お忙しい身にもかかわらず私ごときものに対し、深くお心にかけていただき本当にうれしくありがたく感謝している次第です。帰国いたしましたら、早速お礼並びに平成五年度の授業についてご報告にまいる所存でおりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。」と記している。これに対し、臼井事務局長は、同月二六日付け書簡で、右の件は「教育課程編成」についてなので、同日学長に伝えた旨返信した。原告は、更に諏訪教授に対し、平成五年度の授業の追加変更について説明を求める同年三月六日付けの手紙を送付したが、これには「説明のないままの突然の追加変更は承認できません。県に対して今回の在外研究の経過及び成果を説明する際にも、県から正式の形の職務専念義務免除をいただいた在外研究の不在中にもたらされた異常な事態として大きな問題となると存じます。」と記している。(<証拠略>)。

(9) 投書等対策委員会では、数度にわたる討議を重ねた結果、同年三月五日に、教授会に調査及び討議の結果を報告し、了承された(<証拠略>)。

(10) 原告は、諏訪教授に対し、右(8)の三月六日付けの書面(本判決の末尾に写しを添付した<証拠略>)で、「授業を担当する本人に対し追加変更についての事前の連絡もなく、その後お願いの手紙を出したにもかかわらず何の説明なく、二度にわたり説明を拒否されたことは、私の在外研究及び教授権に対する意図的な侵害としか言いようがございません。」とも述べており、被告神奈川県の教育庁飯田管理部長に対しても、平成五年三月一〇日付け書簡で、外語短大では平成五年度の自分の担当科目について事前連絡がなく追加変更され、説明を求めたにもかかわらず諏訪教授が説明を拒否したことが「在外研究及び教授権に対する意図的な侵害」であると指摘し、同教授が右(8)のとおり、原告に対する連絡は学長がすることになっている旨回答したことをとらえて、「学長があたかも教務委員長の配下であるかのような書き方で、驚くばかりです。」と同教授を非難し、併せて、教員の個人名を挙げた上、これらの教員により、自分に対して「陰湿で卑劣」なやり方で在外研究の妨害があったと述べて、「詳しくは帰国後ご相談にまいりたいと存じますが、あらかじめ厳正なご調査とご処置をお願いする次第です。」と伝えた。(<証拠略>)

(五)(1) 平成五年四月一日、原告は帰国し、同月六日、教授会が開かれた。まず、原告は帰国の挨拶に立ったが、原告は、原稿を用意し、これをもとにして、在独中の講演、本の執筆、出版等自分の業績を語り出した。話が一〇分以上に及んだため、その途中で、岡垣学長は、早く終わるようにと指示をしたが、原告は、「まだ申し上げなければならないことがありますので。」と述べて右の指示に背き、結局原告は一三、四分間話を続けた。この中で、原告は、二年間にわたる在外研究の執拗な妨害、人権侵害、名誉毀損、女性差別、教授権の侵害があるから、「日本語」の後期一コマの授業が担当できないこと及び入試委員の担当を拒否することを述べた。これに対しては、木山英明教授(木山教授という。)から、議題として整理してから、提議をすべきであるとの意見が出され、岡垣学長も、議題として審議することを望むのであれば、これまでの教授会の決定を覆すことにもなりかねないので、正規の手続きとして構成員の二分の一の賛成をもって議題として提出してもらいたいと述べ、議事を進行させた。そして、教授会の第一議題として各委員会の委員の任命について話し合いがされ、原告については、入試委員に任命するとの案が示されたが、原告は、入試委員の任命を拒否する旨発言した。このため、拒否をすることが許されるかどうか等の発言も起こり、議事が進まなくなった。その結果、入試委員については、作問委員との兼任を禁止するとの申し合わせが他の教員から指摘されたこともあり、原告が入試委員の職務を担当すべきかどうかについて保留扱いとされた。次に、カリキュラムの改編に伴う各教員の担当科目数及びコマ数について報告がなされ、平成五年度に教務委員長に就任した前田講師は、教員の開講コマ数及び担当科目についての平成四年度と五年度の対比表を配布して、説明をした。これに対して原告は、前任の教務委員長が説明すべきであって前田講師が四月六日の時点で説明しても意味がないとの趣旨も述べた。(<証拠略>中の右認定に反する部分は措信せず、右認定と符合しない<証拠略>は、右認定事実及びその認定に供した証拠関係並びに<証拠略>に照らして、そのとおりには採用することができない。)

(2) 原告は、平成五年四月中旬ころ、木下教育長にあて、同月九日付けの書簡にその他の文書を同封して送付した。右の書簡では、一年間の職務専念義務免除を受けてドイツの在外研究に従事できたことに謝辞を述べるとともに、研究結果の報告等をした上、ドイツとの比較からしても日本が民主主義国家として成熟するためには男女平等が必要であると感じたこと、神奈川県も男女平等の実現を県政の中心課題としていることに関連し、以下のように述べている。

「しかしながら、実際のところ私の職場である外語短大では、このような男女平等を推進する県の方針とは全く反する女性蔑視、人権無視の無法がまかりとおっております。私の在外研究が認められました際にも、三月一〇日に同封の教育庁の飯田管理部長(四月より福祉部長)にお出ししました書簡にその一端を書きましたように、無法な妨害工作があり、個人のプライバシーに関わる重要書類の持ち出し(昨年二月の書簡参照)及び女性蔑視の暴力団まがいの脅しなどが私に対してくわえられました。

この問題が看過できませんのは、このような無法が、これまでにいた他の女性教員に対してもくわえられていた無法と同時に、ある一派にとって邪魔な教員に対してくわえられた系統的で執拗な攻撃であることです。これらの無法の背景には、D教授とB教授という二人の教授を中心とする『開学派』と呼ばれる派閥が学内を長年にわたって牛耳り、県民の財産である外語短大を私物化しているという実態があります。長年にわたり心ある教員は、彼らの手により辞職させられるか、呆れて自ら辞職しております。

私の外語短大における三年という短い体験に徴しましても、外語短大の実態は真理の探究と伝達を目的とする学問の府ではすでになくなっております。残念ながら『開学派』の一部教員の私物と化しております。私は、在外研究中は騒音にわずらわされることなく、研究と学術交流に専念するつもりでおり、先に書きましたように、ある程度はその成果を出せたのではないかと思っております。しかしながら、飯田管理部長に対する書簡で書きましたように、私の不在中にも『開学派』による執拗で陰湿な女性蔑視、人権無視の攻撃が続いております。私としてはもはや堪忍袋の緒が切れた思いです。私は彼らの執拗な脅しに屈することなく、あくまでも彼らの不正と闘う所存でおります。そのことがまた外語短大を学問の府の名に恥じない大学、また世界に開かれた神奈川県にふさわしい大学、日本国憲法の基盤の上に立つ大学にする唯一の道だと信じているからです。

三年前、私は私立のある学校から外語短大に移りましたが、その際にその学校の校長先生がかけて下さった暖かいお言葉が今も耳に離れません。

『今度移る短大は神奈川県立だってネ、それじゃあ安心だ。本当によかったね。』今、私は教員にとってまた学生にとって『本当によかった』といえるような外語短大にするため一歩もひかない所存であります。投書等対策委員会の不正に対し、県として厳正なご処分をお願い申し上げる次第です。」

(ただし、文中のアルファベッド(ママ)の記載は、被告らが書証として提出するに当たり、実名を仮名とするため記載したものである。)

そして、右書簡に同封されていた文書は、次のとおりである。すなわち、原告が平成四年二月二八日付けで飯田管理部長に送付した書面(前記二の1の(三)の(4)。本判決の末尾に写しを添付した<証拠略>)、平成五年三月五日付けの「投書等対策委員会の報告」と題する書面(<証拠略>)、作成者不詳の「投書とそれに対する神奈川県立外語短期大学での調査と処理の仕方の問題点」と題する書面(本判決末尾に写しを添付した<証拠略>。ただし、手書きのアルファベッド(ママ)の記載は、被告らが書証として提出するに当たり、実名を仮名とするため記載したものである。)、「一九九一年中央大学商学部講義要項」の抜粋(<証拠略>)、中央大学の「一九九〇年度役員・教職員名簿」の抜粋(<証拠略>)、作成者不詳の「金子幸代講師の飯田幸夫管理部長に宛てた投書に対する処理の問題点」と題する書面(本判決の末尾に写しを添付した<証拠略>。ただし、手書きのアルファベッド(ママ)の記載は、被告らが書証として提出するに当たり、実名を仮名とするため記載したものである。)、「書簡(四・四・二八付)問題経緯」と題する書面(<証拠略>)、原告が平成五年三月一〇日付けで飯田管理部長に送付した書面(前記二の1の(四)の(10)。本判決の末尾に添付した<証拠略>。ただし、手書きのアルファベッド(ママ)の記載は、被告らが書証として提出するに当たり、実名を仮名とするため記載したものである。)、原告が平成五年二月一五日付けで教務委員長の諏訪教授に送付した書簡(前記二の1の(四)の(8)。<証拠略>)、教務委員長の諏訪教授から原告に対する平成五年二月二四日付けの書簡(前記二の1の(四)の(8)。<証拠略>)、原告が平成五年三月六日付けで教務委員長の諏訪教授に送付した書簡(前記二の1の(四)の(8)。<証拠略>)、作成者不詳の「神奈川県立外語短期大学における『開学派』による大学私物化、および人権侵害、女性差別一覧表」と題する書面(本判決の末尾に写しを添付した<証拠略>〔一頁末尾と二頁冒頭、二頁末尾と三頁冒頭は、それぞれ文章の連続を欠いている。〕。ただし、手書きのアルファベッド(ママ)の記載は、被告らが書証として提出するに当たり、実名を仮名とするため記載したものである。)、神奈川県立外語短期大学紀要抜粋(<証拠略>)の各文書である。(<証拠略>、弁論の全趣旨により成立が認められる<証拠略>及びこれにより真正に成立したものと認められる<証拠略>。ただし、本判決の末尾に添付した書証の写しのうち、アルファベッド(ママ)の人名は、被告らが書証として提出するに当たって仮名とされたものである。)

この書簡及び同封された文書を一読した木下教育長は、その内容が外語短大の学内の問題に関することであったので、教育庁に持参して、管理担当課長に一括して引き渡し、記載されている内容についての事情を把握するよう指示した。

(3) 原告は、同年四月一三日、教育庁の前管理部長であった飯田神奈川県福祉部長のもとを訪れ、一週間以内に岡垣学長を呼び出した上、投書等対策委員会の報告が虚偽であるにもかかわらず岡垣学長がこれに反対しなかった理由、タクシーチケットの不正使用について投書等対策委員会が問題なしと判断した理由、原告の在外研究前に高橋教授らが原告に対してした在外研究の妨害工作の内容、原告の授業の担当に当たっての諏訪教授から岡垣学長に対する示唆の内容、諏訪教授による妨害工作の有無、投書等対策委員会による無届けで他校の非常勤講師をしたことについての調査に当たっての妨害の有無等について調査してほしいと申し入れて、外語短大の学内問題について処理を求めた。飯田福祉部長は、その場で原告の話の内容をメモに書き留め、同日後任の教育庁久保清治管理部長(久保管理部長という。)、川口総務室長及び河合管理担当課長に趣旨を伝えた上、これを手交してその対応を引き継いだ。(<証拠略>)

(4) 同年四月一四日、原告、岡垣学長及び高崎教授(学長職務代理)が話し合いをした。岡垣学長は、原告との手紙のやりとりの綴り等の資料を示した上で、後期の「日本語」の授業も担当してほしいと述べた。しかし、原告は、岡垣学長の説明内容が事実とは異なる、納得のいく手続を踏んでほしい、事前にきちんとした説明をしてほしいと述べ、右がなされない限りは後期の「日本語」の授業を担当しない姿勢を示した。岡垣学長はなおも「教授会の決定事項であり、学生にも周知済みであるから認められない。どうしても拒否したいなら教授会規程に従って教育課程の修正議案を出したらどうか。」と述べ、更に、学長あての上申書は何ら大学を拘束するものではないが、原告の担当コマ数は渡独前と変わらず、「日本語」の前期及び後期の開講はセメスター制導入を機に学生受講の便宜を考慮して決定したものであり、半期科目担当の専任教員が等しく担当するものであって、原告のみに負担を強いるものではないこと、渡独中教務委員長及び事務局長が回答しなかったのは、責任者である学長が既に連絡をしている以上無用であると解されたものであり、他意はないはずであること等も述べた。これに対しても、原告は、同年二月一〇日の教授会の決定は自分に対するいやがらせである等と主張し、「教授権の侵害である。私はそんじょそこらの教員ではない。学長、事務局長、新旧教務委員長の謝罪を要求する」と述べて拒否した。そこで、岡垣学長は、この問題を教授会、教員協議会に諮ることとした。(<証拠略>)

右の経過を踏まえ、事態の収拾を図るため、岡垣学長は、同年四月一九日、議題を「本年度教育課程等について」として同月二一日に教員協議会を開催することとして招集した。右の教員協議会の席上、まず、岡垣学長は、原告に対し、

<1> 「日本語」後期授業は教授会決定事項で学生にも周知済みであり、学長といえども勝手に変更できないものであり、したがって、あくまでも撤回を要求されるのであれば、教授会規程に従い、教育課程修正の手続を履まれたい。

<2> 前期後期開講は原告に対してのみ負担を強要するものではなく、学生受講の便宜を考慮し、半期科目担当の専任教員が等しく担当するものである。

<3> 四月六日の臨時教授会で某助教授から入試委員と作問委員兼務禁止の申し合わせがあるのではないかとの発言に対し保留としたが、調査の結果、昭和五七年当時話し合われた形跡はあるものの、教授会規程集にも登載されておらず、申し合わせ事項とはなっていないことが判明した。また、マンモス大学ならいざ知らず、外語短大のような小規模短大では、連絡、効率上からも兼務はやむを得ない慣行となっている。原告の帰国後の疲れが残る前期は、委員会の性格上閑散である点も配慮して、総務委員と協議決定したものであり、開学以来未だかつて任命拒否の事例もない。入試委員拒否の根拠はないので、上司たる学長の職務上の命令と受け止め速やかに就任されたい。と述べ、保留していた原告の入試委員の任命を行った。そして、話し合いに入り、岡垣学長は、これまでの経過を説明した上、原告が「日本語」の授業を担当し、入試委員にも就任することについては変更がないとする理由を述べ、「金子講師平成五年度担当科目問題経緯」と題する書面や岡垣学長と原告との間で交わした手紙等からなる資料を配付し、入試委員をなぜ割り振るのか、委員の任命がどういう形で成り立つのか、カリキュラムを変えるに当たってどのような論議があって、なぜ開講が前期から後期に増えたのか、原告に対しても事前に連絡をしている、等の事情に遡って説明をした。しかし、これに対しても、原告は、岡垣学長が同人と原告との間で取り交わした手紙等を教授会で明らかにしたことについて岡垣学長を非難した上、「事前に連絡がなかった。」「話が違う。」などと述べて、拒否の発言を繰り返した。(<証拠略>)

(5) 平成五年度の入試委員会の会合が同年四月二八日に開かれ、当日の夕方、高崎教授から原告に対しても「これから委員長を選びますので、入試委員の方、お集まりください。」と電話で連絡したが、原告は「拒否します。」と言って電話を切ってしまった(<証拠略>)。

(6) 原告は、同年五月二一日、木下教育長及び岡垣学長に対し、次の内容の同日付け内容証明郵便を送り、右各書面は、いずれも同月二四日に到達した(<証拠略>)。

「私は、一九九三年度の私の担当するカリキュラムの追加変更の問題を、私の職務専念義務免除による在外研究に対する二年前から始まった執拗な妨害の一環として位置づけています。すなわち、在外研究の申請から妨害工作が始まり、それは在外研究中も続き、帰国後の今にいたるまで、妨害は止まっていません。カリキュラム問題はその証明です。一九九三年四月二一日の教員協議会は、私の存外研究に対する二年間にわたる妨害、及びその隠蔽という問題の根幹をさらに隠蔽し、私のカリキュラム追加変更の問題を連絡の行き違いという問題だと矮小化しようとする、これも妨害工作の一環に他なりません。日本語を後期に一コマ追加変更し、入試委員を強引に押しつけようとしたのは明らかにいじめであり、その根源には女性差別があります。在外研究申請時、在外研究中、そして帰国後の現在に至る二年間にわたる妨害は、私の名誉及び人権を傷つけるものであり、名誉毀損という憲法に保障された基本的人権および教育権に対する侵害を承認することはできません。無理やりに押しつけようとしても、日本語の後期一コマ追加変更および入試委員は致しません。

本問題についての、貴職のご見解を本書面到達後十日以内に、私あて文書でお示し下さい。」

外語短大は、出張中の岡垣学長と連絡を取り、同年六月二日に話し合いの場を設けようとして原告に連絡したが、原告は文書での回答を要求するとして話し合いの場につくことを拒否した。そして、なお岡垣学長は、同年六月二日に原告の研究室を訪れて原告と話し合おうとしたが、原告は文書での回答を要求して拒否した。そこで、岡垣学長は、同月三日、回答を記載した書面を作成し、原告に手交しようとしたが、原告が拒んだため、同日付け内容証明郵便により、原告が右の文書で述べる「執拗な妨害」と授業及び入試委員の担当拒否との因果関係が不明であり、あまりにも非論理的、抽象的な内容で全く理解できないこと、自分には期限回答の義務がないことを通知するとともに、原告が学内で話し合いをしようともせず頭越しに設置者に調査、回答を求めるのか理解に苦しむし、いたずらに調査、回答を求める行為は設置者側のみならず外語短大側にとっても多大な迷惑となるだけでなく、「大学の自治」を冒涜(ママ)し、ひいては大学の名誉、信用を失墜させ、秩序を混乱させる極めて遺憾な行為であるから今後は厳に差し控えられるよう要望し、さらに、今後はこのような学内の問題については書面で行わない旨通知した。一方、原告の代理人となった角田弁護士らは、木下教育長及び岡垣学長に対し、同月四月付け内容証明郵便において、原告が同年五月二一日付け内容証明郵便で申し入れた各事実は女性に対する人権侵害が易々と行われ放置されている由々しき事態であるのに、右の到達日から一〇日を経過しても返答がないため、直接面談の上解決についての考えを聞かせてもらいたい旨通知し、面談の希望日を通知した。(<証拠略>)

(7) 同年五月一九日、教授会が開かれた。原告は、あらかじめ準備していた「再調査委員会の設立を求める緊急動議」と題する同日付け書面(<証拠略>)を配布した上、これを読み上げようとし、岡垣学長や他の教員から、議題とされていない以上取り上げられるべきでないとして反対され、配付された右の書面は回収されたにもかかわらず、右書面により、「一九九三年三月五日、教授会においてなされた投書等対策委員会の報告には、明らかに事実と違っていることが判明した。そこで、その報告を修正し、入権を守り、名誉を回復するために、再調査委員会の設立をここに提案する。この再調査委員会が設立できない場合には、大学内ではもはや自浄作用がないことを示していることになる。再調査委員会の目的は、真相の究明、投書等対策委員会における調査内容の実態の公表、および関係者の責任の所在を明らかにすることである。」と主張した。その上で、事務局に対し、自分の発言を議事録に一字一句正確に記録するよう命じた。(<証拠略>)

そして、同年六月一六日午後二時から教授会が開かれた。この教授会の議題については、同月一〇日付けの各教員あての通知では、(1)平成六年度入学者選抜学力検査実施教科・科目(案)について、(2)平成六年度入学者選抜方法(案)について、(3)平成六年度学生募集要領(案)について、(4)平成六年度推薦入学者募集要項(案)について、(5)非常勤講師の募集について、(6)再調査委員会設置の是非について、(7)その他、とされていたが、岡垣学長は、同年五月一九日の教授会で原告が発言を制止されたことに鑑み、原告に発言の機会を与えることとし、同年六月一五日の各教員あての通知で、右の(7)以下を、(7)金子講師の「申入書」等について、(8)その他、と変更した。岡垣学長は、教授会の開会冒頭に、「教授会においては議題外の個人攻撃、中傷、告発等の発言は慎むように。」と述べた。そして、議題(5)に関連して、湯本助教授が文部省在外研究員として留学することについて審議が行われた。ところが、手違いにより非常勤講師の募集についての審議が湯本助教授の留学についての審議よりも先に始められたため、原告は、議題の出し方が順番としておかしいのではないかとの発言をし、さらに、自分がドイツに留学に行く際には非常に手間取ったことの不満を述べ、湯本助教授は投書の中で名前が挙げられている女性であり、外国人の脱税を幇助していて、刑事被告人になるかもしれない人を県費で海外に派遣するのは八〇〇万県民の血税の浪費であって許されない旨発言した。これに対して木村教授は、「それは湯本助教授に対する名誉毀損ではないか。事実かどうか不明であることについて、投書の中身とされているからといって教授会で出すのはとんでもない。原告は発言を撤回すべきだ。」と述べ、他の教員の一部も同調した。しかし、原告は、右の発言を撤回しなかった。このため、岡垣学長は、原告の右の発言を議事録に記載しない措置をとった。その後、右の新しい議題(7)に関しては、原告は、参考資料として、右の「再調査委員会の設立を求める緊急動議」と題する書面を配付し、投書等対策委員会の調査が不十分であると主張したが、採決の結果、再調査委員会の設置の必要はないとして原告の提案は否決された。(<証拠略>中の右認定に反する部分は措信せず、右認定と符合しない<証拠略>は右認定事実及びその認定に供した証拠関係並びに<証拠略>に照らし、いずれもそのとおりには採用しない。)

(8) 原告は、平成五年七月三日、長洲一二知事に対して書簡を発し、その中で、ドイツでの在外研究の許可について感謝の意を述べ、「これもひとえに在外研究をご許可下さいました知事のご英断の賜物と心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。」に続けて、「しかしながら、在外研究申請時から在外研究中、そして帰国後の今もいやがらせは続いており、ますますひどくなっております。帰国後すぐに宮森副知事には、直接お目にかかり、お礼とご相談の書類をお渡ししました。教育長にも四月にお願いのお手紙をお出ししましたが、一向に改善されておりません。」と述べ、更に、「神奈川を代表する県立の外語短期大学であるにもかかわらず、在外研究を申請する際から始まった女性教員に対する人権侵害が現在まで二年間も続いているという無法状態ですが、いずれ世間の常識が勝つと思います。外語短大では、大学生協を県の認可がおりていないのに四月より営業し、教授会の議事録も学長によって変えられるという県立の大学とは思えないような大学の私物化、封建時代に逆行したような状態です。しかし、日本の女性の地位向上につながるよう『志あるところに道ありき』という言葉を胸に頑張っていきたいと考えております。」と述べている。(<証拠略>)

(9) 同年七月五日、県政総合センター一〇階の会議室において、岡垣学長、前田教務委員長、浜田管理課長と角田弁護士らとが面談した。この席上、原告側からは、原告が職務専念免(ママ)除を受けたことに際しての平成三年一二月までの経過、原告の岡垣学長あての書簡の管理、平成五年四月二一日の教員協議会の議事、原告に後期の「日本語」の授業を担当させることについての是非等について質問がされ、外語短大側から以下のとおり回答がされた。(<証拠略>)

在外研究において職務専念免(ママ)除を受けることに際して妨害工作があったということはなかった。

原告の岡垣学長あての書簡を同年四月二一日の教員協議会で配付した点については、原告の主張に対する反論のために、学長あてに教育課程について記載している公的文書を配付したにすぎないから問題はない。

原告の後期の「日本語」の授業の担当については、半期科目の前期後期開講により受講の便宜を図ったものであって、文部省の指導に反するものではないし、半期科目担当の専任教員が等しく担当することになったものであって原告のみに負担を強要したものではないし、その負担も大きなものとはいえない。

(10) その後、同年七月七日、教授会が開かれた。この席上、右(9)の面談の概要を記録した書類が「要返却」の資料として配付され、その概要が報告された(<証拠略>)。

(11) 原告は、同月一一日付け書面で、宮森副知事に対し、以下のとおりの内容を含む通知をした(<証拠略>)。

「私も在外研究を行ったために、申請時から現在に至るまでの二年間、女性差別による種々のいやがらせを受けております。教育長に四月一九日にお願いのお手紙をお出ししましたが、一向に改善されないばかりか、ますますひどくなっております。学長は教授会で私の懲戒処分の可能性さえ口にしています。」

「六月八日には文京区立鴎(ママ)外記念本郷図書館で帰国報告会を開き、拙著『鴎(ママ)外と<女性>』所収の『聞き書き』をしました鴎(ママ)外の孫・・・さんもおいで下さいました。その夜の帰国歓迎の夕食会で、鴎(ママ)外の孫で・・・の子供である・・・さんが『金子幸代を守る会』の事務局長をして下さることになりました。恩師である森鴎(ママ)外記念会の理事長で日本翻訳家協会副会長・・・先生も『ひどい大学だ。応援団長をやらなきゃ』といって、応援団長を引き受けて下さいました。」

「外語短大では多数の教員が法外な無届け非常勤を行ったり、大学の金の使い方に関する数々の疑惑など、神奈川県民の貴重な税金で運営されているという県立の短大とはとても思えない状況にあります。また、大学生協を県の認可がおりていないのに四月六日より営業したり、教授会の議事録も学長によって変えられ、大学の財政支出に関する質問は削除されるという事態まで起きています。七月一日に弁護団が教育庁に出かけ、是正要求の会見をし、七月五日に学長と面談し、女性差別の是正を強く申し入れてまいりました。しかし、七月七日に突然開かれた臨時教授会では、学長が私の申し入れを頭から愚弄し、名誉を傷付けるような勝手な運営をし、私を応援している教員も含めた処分までも言い渡されました。もはや憲法不在の大学となっています。緊急の事態となっておりますので、私の問題や数々の疑惑を解明するために、第三者による調査委員会を県の指導によって設けていただくようお願い申しあげます。」

(・・・は、書証上の黒塗り部分である。)

(12) 岡垣学長は、同年七月一二日、原告に対し、同日付け内容証明郵便により、「本年度の本学教育課程において、貴職に『日本語』後期一コマの授業担当及び入試委員の任命を受け入れるよう、既に口頭で示達しているとおりです。このことについて、五月二十一日付け貴書簡において『日本語』の授業を拒否し、入試委員の任命も拒否されているが、改めて貴意を確認いたしたく七月十九日(月、必着)までに文書により回答されたい。なお、期限までに回答なき場合は右記いずれも拒否されたものとみなします。」と通知した。これに対して角田弁護士らは、岡垣学長に対し、同月一五日付け内容証明郵便により、右の問題はいずれも事実関係の調査、確認、協議の段階にあるから、現時点では二者択一の回答を拒否せざるを得ない旨通知した。(<証拠略>)

同年八月三日、教育庁管理部長の仲介により、岡垣学長、教育庁の担当者、原告及び角田弁護士らが話し合った。「日本語」の後期授業の担当問題が中心となり、管理部長からは、「教授会に免除願いを出したら。」と提案があり、角田弁護士らも異論を挟まなかった。岡垣学長は、免除は教育課程の修正ないし変更ということになるので、教授会での議案提案権を持つ自分の責任で「免除願い」の議案提出を認めることとしたが、「承認は教授会決定事項であり、約束できないが努力したい。」と述べた。(<証拠略>)

そして、原告は、同月四日、岡垣学長あての「日本語後期一コマ免除について」と題する書面により、カリキュラム編成に当たって外語短大との間において意思の疎通を欠いた点があったこと及び在外研究中の成果をとりまとめる時間が必要であることを理由に、後期の「日本語」の授業の担当を免除してほしいとの申請をした(<証拠略>)。

右の申請については、議題を「後期のカリキュラムについて」として、同月九日午後一時から開かれた臨時教授会に諮られた。この中で、岡垣学長から、原告の右申請が同年二月一〇日の教授会で決定した平成五年度カリキュラムの一部変更に該当するので教授会で審議するとの趣旨説明があったが、これまでの例からして、病気で出講できないということであれば免除願いなどというものを出さなくても、然るべき手続をとれば非常勤講師の公募ができたものであり、当該専任教員担当の複数の科目のうちの一科目のみの担当の免除を受けてこれを非常勤講師に担当させるという例が過去にもなかったため、なぜ右のような免除願いが出されたのかを理解できず、教員全体のコンセンサスが得られていなかったので、教授会としては討議のしようがなく、すぐに採決を取るのは内容が不適当であるから、教員協議会に切り替えて自由に話し合いをしたいとの意見が出された。原告は、教授会でなければ困ると述べたが、他の教員からは、免除願いという概念自体が議決機関である教授会で扱える事項ではないから、まず全員が自由に意見を述べあってどのように考えたらよいのかというコンセンサスを得てからでなければ、全員の共通理解が得られず、議決もできないとの意見が出され、この多数意見によって、教員協議会に切り替えられることとなった。そして、午後一時五分に教員協議会に切り替えられた後、原告が右の問題を教育庁に持ち込んだことについても問題とされ、また、原告の右の免除願いに関しては、既に一年間職務専念義務免除により授業の担当を免除されていることや、研究のとりまとめには他の教員も時間をとりたいと考えているとの理由から、「海外留学中の研究のとりまとめのために授業をしなくていいということは絶対に成立しない」、「一度そのような前例をつくれば大学の運営ができない」、「全部できないのならともかく、一つだけというのはおかしい」、「免除願いはおかしい」、「こんな話を他の大学でしたら笑いものになる」、「研究者としては名声があるのかもしれないが、教育をやってもらいたい」、「わがままにふりまわされるのは御免」などとする意見が多く出されたが、これに対しては原告は特に答えなかった。また、原告に対しては、全部できないということであれば病気ということも考えられるのに一つだけできないということが理解できない教員から、「一つといわず、健康上の問題であれば、そのように診断書をお出しになったら。」とか、「どうしてもできないならしかるべき診断書を提出して休職願を出したらどうか」との質問もされたが、原告は、「いたって健康で授業をやることに差し支えない。」と答えたため、他の教員は、他はできるがこれだけはできないという理由に理解を示さなかった。一方、原告は、「変更についての説明がなかったこと自体が問題だから担当しない。」と繰り返し述べた。教員協議会は午後二時三五分に終わり、休憩後に教授会が再開されることになったが、原告は、岡垣学長に退席する旨を伝えて退席した。そして、午後三時から教授会が再開されて投票がなされたところ、投票総数一七票のうち申請を認めない者が一五票、白票が二票との結果となって否決された。そして、原告が退席して不在であったことから、原告への決議の結果通知は後日となるため、現段階では後期の「日本語」の非常勤講師の公募の必要性が明確ではないことから、公募の時期について議論したものの、カリキュラムどおり原告の名前で開講し、原告の様子を見て、必要であれば非常勤講師の公募をするとの対応も決まった。右の決議結果については、同月一六日、岡垣学長から原告に対して電話で連絡がされたが、岡垣学長が数を述べようとしたところ、原告は、右の議決に従わない旨を述べて電話を切ってしまったので、同学長は、同月一六日付け内容証明郵便でこれを原告に通知した。(<証拠略>)

(13) 角田弁護士らは、岡垣学長に対し、平成五年一〇月五日付け内容証明郵便により、原告が同月七日開講予定の「日本語」後期の授業を担当することを通知した。原告は、弁護士から連絡をすれば自分がその連絡等をする必要はないと考えたので、自ら外語短大に「日本語」の授業を担当することを連絡することはなかったが、同月七日からの後期の「日本語」の授業に出講した。(<証拠略>)

(六)(1) 教務委員会は、平成五年一〇月二七日、平成六年度の教育課程について検討した。この席上では、備え付き機器の制約から受講者の定員が限られるコンピュータ関連科目の受講希望者が増えているため、コマ数の増加により対処することが必要であるが、この科目は非常勤講師による科目であるため、予算をどのように扱うかが問題となった。そして、非常勤講師による他科目の開講コマ数を減らすことも検討されたが、平成五年度において既に可能な限りの見直しをしていたため困難であるとされ、非常勤講師による授業の予算枠を増やす方法で検討が進められ、岡垣学長に右の意見が伝えられた。しかし、既に、同年七月二〇日には被告神奈川県総務部長の依命通知をもって、各部局長、教育庁(ママ)、警察本部長、企業庁長等に対し、厳しい財政環境を踏まえ、平成五年度の当初予算額の一〇パーセント節減が指示されており、同年一〇月一五日には同依命通知をもって、平成六年度は大幅なマイナスシーリングを実施せざるを得ない状況にあり、経費節減抑制の徹底、最少(ママ)の費用で最大の効果を上げるよう特段の努力が必要であるとして、厳しい同年度の予算編成方針が示されていた。そのため、岡垣学長は、被告神奈川県から財政が厳しいとして経費節減抑制の徹底を求められており、非常勤講師に関わる人件費、施設運営費等の経常的経費の総枠は現状なみの予算でしか対応できないことを認識していたため、単純な予算の増額は期待できないし、むしろ予算を削減することについて検討しなければならない状況にあるとして右の教務委員会の意見には困難な点があると判断し、非常勤講師による担当の科目について専任の教員で担当できないかについて教員協議会で話し合うこととした。岡垣学長は、同年一一月八日、議題を「非常勤講師の補充等について」として教員協議会を同月一〇日に開催する旨各教員に通知した。(<証拠略>)

そして、同年一一月一〇日教員協議会が開かれ、平成六年度の非常勤講師の採用について話し合われた。岡垣学長からは、以下の趣旨が述べられた。

県側から、財政が極度に逼迫し危機的状況にあるので、極力経費の節減に努められたい旨の強い要請があった。

四月からの新カリキュラムの実施状況を見ると、情報化時代を反映してコンピューター関連科目の受講者が殺到し、学生のニーズに応えられず、教務委員会では機器の制約からコマ数を増やすことで対応できないものか苦慮しているという。そこで、「コンピュータ演習」及び「英文ワープロ」の授業について学生の人気が高まっており、非常勤講師の数を増やす必要があるが非常勤講師雇用予算の増枠が望めないので現在枠の中で合理化する以外に方法はない。

ついては、各自最低四コマ以上の授業を担当されるよう努められたく、非常勤講師が担当している科目についても専任教員が代替できる科目があれば申し出願いたい。各自最低四コマ以上の授業を担当されるよう努められたい。

「日本語教授法」の授業については、現在非常勤講師に担当してもらっているが、原告の採用条件にも含まれており、また岡田学長からも速やかに担当せしめるよう引継ぎを受けていることでもあり、昨今の厳しい財政事情も勘案、原告はこの際非常勤講師に代替協力願いたい。

これに対しては原告を含め出席した教員からの異論はでなかった(なお、原告は、平成六年二月に学長室を訪れた際、岡垣学長に対し、教授会は議事録を作成するが、教員協議会は議事録を作成しないので発言しなかったと述べている。)。(<証拠略>中右認定に反する部分は、右認定事実及びその認定に供した証拠関係に照らして措信することはできない。)

そこで、教務委員会では、原告が「日本語教授法」の授業を担当することで了承したものと考え、平成五年一一月一七日午前の教務委員会において、平成六年度教育課程案が作成され、中島講師が担当していた「日本語教授法」の授業を原告が担当することとされ、これによれば、原告は、「日本文学」、「日本語」、「日本語表現法」及び「日本語教授法」の四科目を担当することとされた。そして、これは教務委員会において正式に決定された。同日午後、教授会が開かれ、右の教務委員会で決定された平成六年度教育課程案が提示された。原告は、これに対し、採用条件になかったこと、「日本語教授法」については資格も経験もないこと、中島講師が続けて担当する意思を持っていること、事前に教育課程案を作成することについて自分に打診がなかったこと等を理由として、承服できない旨述べた。これに対して前田講師からは、同月一〇日の教員協議会で岡垣学長からの発言があって原告が「日本語教授法」の授業を担当する案が提示されていること及び事前に担当者に打診する慣例もないことが説明され、岡垣学長からは、教務委員長は御用聞きではないから各教員の研究室を全部回って、「こう上げさせていただきますが、いいですか。」と言って承諾を取って回るようなシステムではないのでその必要はないと説明された。そして、一五、六分間議論がなされたところで、議事進行を早めたらどうかという意見が出された。岡垣学長は議論が出尽くしたことから、「採決に移ってよろしいか。」と言って採決に移ることの是非を問うたところ、異論が出されず、多数決により決することとなり、採決がされ、一三対三の多数で承認された。承認された後も、原告は、「ただいま可決されましたが、私は資格も何もございませんので、担当しません。」と発言した。更に、原告は、平成六年度後期の「日本語」の授業も担当しない旨述べた。(<証拠略>)

(2) 非常勤講師は単年度毎の委嘱であり、次年度の出講を依頼するための委嘱状はあるが、次年度の出講を依頼しないことを示す文書はないから、建て前としては、次年度に非常勤講師の委嘱の予定がない場合は何の連絡も必要なく、いわばなしのつぶてとなる。しかし、教務委員長の前田講師は、「日本語教授法」担当の中島非常勤講師に対して、口頭ででも次年度は委嘱状が出ないことを伝えるのが礼儀であり、しかも、委員長自らが伝えるよりも、学内の慣例のとおり同講師の推薦者である原告に伝達を依頼するほうが良いと考えた。そこで、前田講師は、平成五年一一月二三日ころ、原告の研究室に行き、中島講師に次年度の非常勤講師の委嘱状が出ない旨を連絡してほしいと依頼した。しかし、原告は、前田講師に対し、「日本語教授法」の担当についてのすべての責任が前田講師にあると主張し、また前田講師が中島講師の「解雇通告を強制した。」と抗議した。原告は、更に、前田講師に対し、同月二四日付け(封筒は同月二五日付け)文書により、中島講師は日本語教育の草分けとして長年にわたり日本語教育に携わっており、授業熱心で学生にも人気が高いため、次年度の予定も組んでもらっていること、自分も「日本語教授法」の授業を担当することを承服していないこと、中島講師には次年度に来る必要がないと伝えることはできないことを述べ「今回の担当変更にかかわる責任は、教務委員長であるあなたにあることをここに明記いたします。」と伝えた。前田講師は、右書面を受領した後、原告に架電し、右文書で指摘された事項に対処するため、右文書を受け取ったことを岡垣学長にも報告する旨伝えた。これに対して原告は、採用条件にあるといってもそれは嘘であり、採用条件にはなかったのにどうして担当を強要できるのかと述べた。前田講師が「無駄かと思うけれども、一応学長先生にそういう発言があったことを改めて伝えます。」と答えたところ、原告は「『日本語教授法』についてはとにかく担当しない。採用条件にないのだからやる必要がない。」と述べ、更に、これは前田講師が案を作って仕組んだものであると述べた。(<証拠・人証略>)

前田講師は、同月二九日、原告の研究室を訪れ、原告に対し、<1>教務委員会としては、採用条件に「日本語教授法」があるという前提で運営しているので、一一月一七日に可決された教育課程に変化はないこと、<2>万が一、原告の申立てどおり、採用条件になく新たに担当資格について審査する必要があるのであれば、人事委員会から連絡が行くはずであるが、この点については、不必要であろうが、念のため学長に確認を依頼してみること、<3>中島講師への次年度出講についての連絡は、慣例に従って依頼しただけであり、強制はしておらず、教授会の議決に従って教務運営が行われるので、委員長の立場で話を伝えること等を伝えた。しかし、原告は、すべて悪いのは前田講師の側であり、前田講師を含め女性教員が原告を仲間外れにしていじめている等と言って話し合いは平行線に終わった。原告は同月三〇日に、右同月二四日付けの文書と同じ内容の内容証明郵便を前田講師の自宅にも送った。(<証拠略>)

同年一二月一日に教授会が開かれ、原告は、「自分には担当する資格も経験もない。」「大学から研修の命令を受けたこともない。」と述べ、「日本語教授法」の授業の担当を拒否し、非常勤講師の募集を求めたが、臼井事務局長からも敢えて「週二日の自宅研修日を与えられている以上、自己研鑽に努めるべきであって、大学から研修の命令を受けていないなどと他に責任を転嫁することは許されない。」と述べられるなど、右の意見は採り上げられなかった(<証拠略>)。

前田講師は、同月六日、中島講師に対し、翌年度の「日本語教授法」の授業は原告が担当することになったとして、「日本語教授法」の授業の委嘱をしない旨通知した(<証拠略>)。

岡垣学長は、原告に対し、同月九日付け内容証明郵便により、「日本語教授法」は、原告の採用条件の科目となっているからその担当について事前了承を取る必要がないことは大学の確立された慣行であること、教授会も強行採決されたものではないことを述べ、平成六年度には教授会の決定どおり授業を担当し、入試委員の職務にも速やかに就くよう示達した(<証拠略>)。

これに対し原告は、岡垣学長に対し、同月一三日付け内容証明郵便を同月一四日に発送した。右郵便で、原告は、外語短大が自分に「日本語教授法」の授業を担当させることについては担当者である自分の事前の了解もなく教授会の採決が強行されたものであって根拠がないこと、非常勤講師が授業を担当する予算がないわけではないこと、中島講師は日本語教授法のベテランであること、中島講師が国語のうちの古典の入学試験の問題を作成してきたこと等を理由に、「日本語教授法」の授業が自分の担当とされたことについて再考するよう述べた(<証拠略>)。

(3) また、原告は、木下教育長に対し、平成五年一二月一四日付け文書で、平成五年度後期の「日本語」及び平成六年度の「日本語教授法」の授業の担当とされたことについて「異常な事態」であるとして、「日本語教授法を無理やり持たせようとしていることは、大学浄化を訴えてきた私に対するいやがらせ以外の何物でもありません。これまで我慢に我慢を重ねてまいりましたが、二度にわたるこのような無法なふるまいに対し、我慢の限界に達しました。事態を把握しておられる教育長としての明確なご裁断をあおぎたく、お手紙を書かせていただきます。」と前置きをして、また、久保管理部長に対しては、同日付け文書で、右と同じく「事態を把握しておられる管理部長としての明確なご裁断をあおぎたく、お手紙を書かせていただきます。」と前置きをして、それぞれ以下のとおり通知した(<証拠略>。なお<証拠略>は、以下の引用部分については同文である。)。

「無届け非常勤問題で一〇月に辞表を出した武上幸之助講師に対しても、教授会で私の提案した再調査委員会設置に賛意を示してから、系統的ないやがらせが始まりました。岡垣学長、臼井事務局長の再三の呼出を受け、『商業英語を持て』と言われたり、『金子講師を応援しているようでは助教授にしない』と言われていました。元学長をはじめ、わずか二年しかいない武上講師以上に、長年にわたり無届けで非常勤をしていた教員が多数いたにもかかわらず、武上講師のみが教授会で名前を出され、非難されたのは何故でしょうか。武上講師が学内浄化を訴える私に賛意を示したため、邪魔な人物になったからに他なりません。臼井事務局長から武上講師は、『無届け非常勤の分として二一〇万円返還せよ』などと言われていました。『臼井事務局長から一〇月三一日付けで辞めるように言われた』と、武上講師は言っています。武上講師の恩師である早稲田大学の先生に、武上講師の無届け問題を知らせる人までいました。

一〇月六日の教授会で、辞職理由を『兼業問題の責任をとるためである』と書いた武上講師の書面が読み上げられたにもかかわらず、学内では『自分勝手に学期途中で授業を投げ出すいいかげんな教師』という話が作られ、広められています。武上講師の辞職という事態にもなった無届け非常勤の問題に対し、武上講師以外の元学長をはじめとする教員については、学内ではきちんとした報告すら行われておりません。すべては黒い霧の中に隠されております。

今回教授会で、私に日本語教授法を持たせることに賛成した教員の中に、何人、無届け非常勤をしている教員がいると思われますか。今回、大学が出したらしい報告が、正しいものだと思っておられるのでしょうか。この間の事情を知っていらっしゃる教育長(<証拠略>では『管理部長』となっている。)がそんなことはわからないとはおっしゃらないと思います。私は、浄化された後の教授会の決定には喜んで従いますが、教特法に違反して平気でいる教員のいる教授会の決定に従う気持ちはまったくありません。

また、情報公開問題でも、一一月七日の読売新聞に掲載された通りのことがありました。しかも一一月一七日の教授会で、岡垣学長は、情報公開請求者のことをこと細かに調べて教授会で報告したことは木下教育長も了解ずみの事であり、法令に違反するものではないと明言しております。しかし、教授会で情報公開請求者の氏名、職業を公表するのでさえ問題があるのに、情報公開請求者の行動を事細かに報告するのは、明らかに情報公開請求者に対するプライバシーの侵害であり、情報公開条例にもふれるものです。

四月から大学浄化のために何度もお願いの手紙を書かせていただきましたが、事態は一向に改善されていません。むしろ、武上講師の辞職の例のように悪くなっております。教育委員会が仲介の役割を果たす時期はとおに過ぎました。岡垣学長の言い分が正しいか、私の意見が正しいか、明確な意見表明をお願いするものです。

教育委員会は、小中高校生の教育に大きな責任を負っています。外語短大のこのように黒白がはっきりしている問題に対し、明確な態度を示さないようなことでは青少年に何が正しいのか、何が悪いのかという教育の原点を伝えることはできません。そんな大人を青少年がまったく信用しなくなるでしょうから。

大学浄化が一向になされず、日本語教授法を無理やりにやらされる場合には、直接、県民にこれまでの経過を訴え、判断をあおぐ覚悟をしております。私のこの文面も誰に見せてもはずかしくないものと考えております。明確な処理をお願いいたします。」

(4) 同年一二月一五日に定例教授会が開かれて、第一議題の「非常勤講師の採用について」が協議され、「哲学」「自然科学概論」「コンピューター演習」及び「生徒指導」の各科目についての非常勤講師の採用が決定された。次いで第二議題の「平成六年度教育課程(日本語教授法)について」が協議された。岡垣学長は、原告に担当の意思を尋ねたが、原告が自分は適任ではないのでやらないと述べたため、岡垣学長は、「原告の採用条件として『日本語教授法』の授業の担当も含まれていた。」「だから、それについて採用条件にはなかったというふうに言われても、どうしようもない。人事委員の人たちがそのように言っているので、それは間違いない。」旨述べたが、原告は、「そのようなことを聞かれた覚えはない。」「採用に際してそのようなことを確約した覚えはないし、質問された覚えもない。」などとして、「日本語教授法」の授業の担当は自分の採用の条件ではないと主張した。これに対し、諏訪教授及び高崎教授が「それはなかったろう。お持ちになるとおっしゃったでしょう。」と反論した。また、原告は、「日本語教授法」を担当している中島講師こそが適任であり、突然解雇するのは同講師に失礼である等と主張し、話し合いはまとまらなかった。そこで、岡垣学長は、原告の意思が分かったが、原告を採用したときの経緯を知らない構成員が増えてきたことから改めて調査をした上、その後資料をそろえて改めてその経緯を発表することとし、その処置は自分に一任することでどうかと教授会に諮ったところ、構成員一八名のうち、欠席者及び岡垣学長の合計四名を除いた一四名中、一一名の挙手をもって、原告を採用したときの経緯の調査を学長に一任することに決定された。(<証拠略>)

そこで、岡垣学長及び高崎教授は、原告の採用当時の人事委員から事情を聞くことにした。高崎教授は、同月一九日、岡田元教授(午前一一時五〇分ころ)及び照木元教授(午後七時五〇分ころ)から電話でそれぞれ事情を聞いた。高崎教授からの問い合わせに対し、照木元教授は、四科目すべてについて「やるとおっしゃっていましたね。」と答え、岡田元教授も「間違いない。」と述べた。また、岡垣学長は、同日午後一時四〇分ころ、山本元教員に電話で問い合わせをしたが、山本元教員も「正式に学長から依頼の書面があってから答えますけれども、確かに四つお持ちになるとおっしゃっておりました。」と答えた。更に、三村教授も同月二〇日午後一時二〇分ころ、岡垣学長の電話による問い合わせに対し、四科目とも担当可能と言った旨回答した。(<証拠略>)

(5) 原告は、平成六年一月一九日の教授会において「大学浄化委員会設置の提案」と題する書面により、無届けの非常勤問題がテレビ・ラジオ・新聞等で報道されたことを踏まえて「大学浄化委員会」の設置を提案した。右の提案については、同月二六日の教授会で話し合われた。原告は、右書面に基づき、投書等対策委員会の報告には不正、隠蔽がなされているとして、大学浄化委員会の設置を提案したが、採決の結果賛成者は原告のみで、否決された。また、同日の教授会では、高崎教授から、平成元年当時の人事委員からの事情聴取結果として、いずれの委員も、原告が四科目の担当が可能であると答えたとの聴取結果を述べたところ、原告は、「岡垣先生の発言は嘘である。違っているということを私は分かっている。」と述べた上、「日本語教授法」の授業の担当について「採用面接で断った。」と述べた。そして、これについては、岡垣学長による報告が出席者に了承された。また、被告神奈川県に、外語短大におけるセクシャル・ハラスメントについて調査をしてほしいという投書がなされたことに関連して話し合われたが、諏訪教授が「それは金子先生がなさったのではないですか。」と述べたところ、原告は、「いや、私はいたしません。」と答え、セクシャル・ハラスメントがあったかどうか及びその投書があったかどうかについて諏訪教授と原告との応酬となった。そして、原告は、「私に対して諏訪先生がセクハラ行ったことは事実ありますけれども。」「キスさせろと言われたこともありますし。」と、諏訪教授にキスを強要されたと述べた。諏訪教授は、「それはいつ、どこで、何を。」「場所を言ってみろ。何日に行ったのか。」と尋ねたところ、原告は「手元に資料がございませんので分かりません。」と答えたのみであった。(<証拠略>。原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用しない。<証拠略>は右認定を覆すに足りない。)

(6) 原告は、平成六年一月二三日付け内容証明郵便(同月二四日発送)により、木下教育長あてに、以下の<1>ないし<4>である情報公開問題、非常勤講師の無届けの問題、人権の問題及び財政の問題について、教育長の明確な回答を求めるとともに、右書面の写しを、知事及び副知事に対して送付した。

<1> 岡垣学長は、平成五年九月一日の教授会の席上、議事録の公開を請求した申請者の氏名及び職業を明らかにし、さらには情報公開請求者の行動を事細かに漏らした。また、岡垣学長は、教授会で議論する前に、情報公開で請求されている教授会議事録を公開しないとの結論を記載した資料を、教授会資料として教授会の構成委員全員に送付したが、情報公開の請求についての情報は教育庁(ママ)から岡垣学長に伝わったのではないか。教授会で議論する前に、議事録を非公開ですることが決まっていたのではないか。誰が指示したのか。

<2> 過去六年間にわたって無届けでの他校の非常勤講師に就任していたことについて調査はどのようにされたのか。またこの処分はどのようになるのか。二年以上も教育庁(ママ)が右の問題を放置してきたのはなぜか。無届けで非常勤講師に就任することは教特法や地公法の職務専念義務に違反しないのか。

<3> 自分に対しては学内でいやがらせがあるが、教育長としてどのように考えるのか。

<4> 外語短大では一度も教授会で決算報告がされていないが、木下教育長は、臼井事務局長に対して、決算報告は教員に見せるなとの指示を出しているのか。

これに対し、木下教育長は、同年二月一〇日付け書面において、

「お手紙拝見しました。

さて、昨年来、大学運営について私あて種々ご意見をいただきました。ご案内のとおり、大学運営は、大学の自治の下に大学が自主的に行うことになっております。従いまして、そうした観点から、いただきましたご意見に付きましては、大学当局より事情をお聞きしながら、必要な指導を行ってまいりました。また、大学側におきましても、いろいろ努力していると伺っております。

今回いただきましたお手紙も、拝見したところ、内容は大学運営についてのものであると存じますので、大学側でしかるべく対処していただくべきものと考えております。

どうぞ、この点のご理解をいただき、今後とも円滑、適正な大学運営にご協力下さいますようお願い申し上げます。」

と回答した(<証拠略>)。

(7) 同年二月二日及び九日にも二回にわたって岡垣学長と原告は学長室で話し合いをしたが、原告は、日本語教授法はやらない旨及び現非常勤講師の担当が妥当である旨述べるのみであったため、話し合いは物別れに終わった(<証拠略>)。

(8) 同月一八日午後二時四〇分から、議題を(1)平成六年度入学試験合格者の決定について、(2)非常勤講師の募集について、(3)図書館長の選挙について、(4)その他、として教授会が招集された。(1)平成六年度入学試験合格者の決定については入試委員長の鈴木教授から合格者の決定について説明がされ、質問も特になく、了承された。次に、教員の一部から、緊急の議題として、原告のそれまでの言動が教育公務員としての適格性を欠き、外語短大の教員として相応しくないとして、「教員の人事について」とする議題が提案された。そして、提案者である教員から、議題提起の趣旨説明として、原告のこれまでの言動を、(1)服務規律違反(入試委員任命拒否、「日本語教授法」担当拒否、「日本語」後期一コマの担当拒否)、(2)大学自治の原則違反と教授会無視(設置者との個人交渉、学長、事務局長との話し合い拒否、代理人への依頼、投書)、(3)誹謗中傷及び名誉毀損、等の面から順を追って提示した。以上の提案に関し、原告に対して、あり方を改めてほしいという趣旨の発言がされ、岡垣学長は、「金子先生の問題だから、自分で弁明することがあったら、この際やってください。」と述べて原告の意見を求めたが、原告からは何の発言もなく、他の構成員が論議に加わるなかで、さらに原告の意見を求める発言があり、休憩時間を挟むなど間をおいて再三再四原告の意見を求めたが何の発言もなかった。そこで、教授会として原告に勧告することを挙手で図ったところ、勧告することに賛成の者一〇名、反対の者二名となり、勧告することに決定し、一五分間の休憩の後、以下の「服務及び大学教員としての在り方についての勧告」案が提出され、これを投票で諮ったところ、賛成の者一一名、反対の者二名、白票二名となり右案は承認され、右のとおりの勧告をすることが議決された。原告は、右案を印刷した書面につき、回収する旨議決されたのに、これを無視して、この書面を持ち帰った。そして、岡垣学長は、同日、右の勧告を記載した書面とともに、勧告に対する回答を促す旨の文書を原告あてに発送した。(<証拠・人証略>)

「あなたは、本学教授会の構成員でありながら、自ら数多くの『大学自治の原則』を侵し、教授会を軽視し、服務規律にも違反した。更に、大学教職員に対する事実無根の誹謗中傷を外部へ繰り返し行い、大学教職員の名誉を著しく傷つけた行為は断じて許しがたい。

あなたの行為は、教育公務員としての適格性を明らかに欠くものである。

今日、あなたは、もはや本学の教員としてではなく、他の場において学問・研究活動をされる事がふさわしいと思われるので、ここに勧告する。

なお、本教授会としては、あなたが上記の内容を熟慮し、本日から一四日以内に、この勧告を受け入れることを望むものである。」

これに対し、原告は、同月二一日、夫とともに木下教育長と会った。また、同日付け内容証明郵便により、岡垣学長宛に、右の勧告に関し、大学の自治の原則を侵したとされる具体的事実は何か、どのような事実が教授会を軽視したことになるのか、またこのことが外語短大を辞職しなければならないほど適格性を欠くという根拠となるのはなぜか、どのような事実が服務規律のどの条項に該当するのか、大学教職員に対する事実無根の誹謗中傷とは具体的にどのような事実を指すのか、このことがなぜ大学教職員の名誉を著しく傷つけたことになるのかについて回答を求める質問状を送付した。さらに、原告の委任を受けた伊藤幹郎弁護士(伊藤弁護士という。)及び芳野直子弁護士(芳野弁護士という。)は、同年三月三日付け内容証明郵便により、岡垣学長あてに、右の勧告に関し、原告の学問研究の自由及び教育労働者としての生活権を奪うものであって不当な勧告であるから断じて受け入れることができない旨の回答をした。(<証拠略>)

原告は、同年二月二二日付けで知事及び副知事に対して、また同月二五日付けで木下教育長に対して、同月一八日の勧告について絶対に受け入れられないこと及び「今後も引き続き大学の浄化のために微力を尽くす所存であ」る旨連絡した(<証拠略>)。

(9) 同年二月二四日午後一時から、岡垣学長と原告とが話し合いをする予定であったが、原告は一方的に欠席した(<証拠略>)。

(10) 中島講師は、平成六年二月一四日、

「日本語教授法を来年度も引き続き担当するつもりでおりましたところ、突然、来年度は辞めるように言われ、非常に驚いております。

平成六年度も引き続き日本語教授法を担当する意志を持っておりますので、この件についての交渉は、専任講師の金子幸代氏に一任いたします。」

と記載した「委任状」を作成した上、平成六年度の「日本語教授法」の講義要項の原稿を作成して提出した。しかし、外語短大の教務課長は、同月二五日、「平成六年度教育課程」に中島講師担当の定めがないので掲載不能であるとして、中島講師作成の右の講義要項の原稿を原告に返却した。一方、原告は、平成五年一二月一五日ころ、平成六年度分の「日本語」「日本文学」「日本語教授法」及び「日本語表現法」についての講義要項の原稿用紙の配布を受け、「日本文学」、「日本語」、「日本語表現法」、「文献講読」及び「特別演習」について講義要項の原稿を提出したが、「日本語教授法」については講義要項の原稿を提出しなかった。また、「日本語」の講義要項については、原告に配付された原稿用紙には開講期欄の前期及び後期の文字がいずれも○で囲んであったが、原告は、「後期」という文字を囲んだ「○」を修正液で消去し、開講期を前期のみと表示して提出した。原告が原稿を提出しなかったため、講義要項の印刷、製本後も「日本語教授法」の欄は、担当者として原告の氏名の記載はあるものの、講義要目が空白のままとなった。なお、「日本語」の開講期欄は、当初の原稿用紙の記載のとおり、前期及び後期として印刷された。(<証拠略>)

(11) 原告代理人の伊藤弁護士及び芳野弁護士は、岡垣学長に対し、平成六年三月八日付け内容証明郵便により、岡垣学長と原告との間では「日本語教授法」の担当の有無について未だ話し合いが続行中で結論がでていないにもかかわらず平成六年度の講義要項は原告が同科目を担当するとの前提で印刷の準備が進められているが、原告には日本語教育に関する経験も資格もなく、経験豊かで優れた講師から代わる必然性がなく、学生にとっても不利益であるし、原告も既に四コマを担当しているから、平成六年度についても「日本語教授法」の授業の担当は従前どおりとするよう要請した(<証拠略>)。

岡垣学長は、原告に対し、同年三月二九日付け書面により、原告が「日本語教授法」の授業を担当するとの方針を変更する理由も必然性もない、むしろ採用条件をも無視し、あるいは構成員の一員でありながら、再三にわたり重要な教授会決定事項を遵守しないことは理解に苦しむとして、平成六年度教育課程で定められた教授会決定どおり「日本語教授法」の授業を実施するよう通告し、右郵便は同月三一日に原告の自宅に配達された。これに対し、原告代理人の伊藤弁護士及び芳野弁護士は、岡垣学長に対し、同年四月二日付け内容証明郵便により、原告は「日本語教授法」の授業を担当するとして採用されたものではないため、右授業を担当する義務がないにもかかわらず、事前に了解や説明もなく強要されたが、右の授業を強制される根拠はないこと、事実上の退職強要のための嫌がらせであること等を理由に、「日本語教授法」の授業を担当することができないことを再度通知するとともに、このような嫌がらせは今後一切停止するよう求めた。また、原告は、知事、副知事及び木下教育長に対し、同月四日付け書面により、岡垣学長から同年三月二九日付けで通告文を受領したこと及びこれに反論したことを報告するとともに、「三月一八日の県議会で外語短大の正常化に向けて県教委として真剣に取り組むということを一九日の新聞で知り、安堵いたしました。」とも述べ、「外語短大が一向に正常化されていないことは誠に残念なことです。何分にもよろしくお願いいたします。」と伝えた。(<証拠略>)

(12) 外語短大では、原告が「日本語教授法」の授業を担当することと決定されている平成六年度教育課程に基づき、平成六年度の時間割で、原告は、月曜日第一時限の「日本語」(一年次生及び二年次生配当科目・前期及び後期)、第二時限の「日本語教授法」(二年次生配当科目・前期及び後期)、第四時限の「文献講読」(前期)、「特別演習」(後期)(いずれも二年次生配当科目)、木曜日第三時限の「日本文学」(一年次生及び二年次生配当科目・前期及び後期)、第四時限の「日本語表現法」(一年次生及び二年次生配当科目・前期及び後期)の授業を担当することとなった(<証拠略>)。

(七)(1) 非常勤の中島講師の委嘱期間は平成五年一〇月一日から同六年三月三一日までであったことから、同六年三月三一日の経過をもって同人に対する非常勤講師の委嘱は終了した(<証拠略>、暦上顕著な事実)。

(2) 平成六年度の「日本語教授法」の授業は、平成六年四月一一日の第二時限目が第一回目の授業であった。原告は、午前一〇時四五分ころ、「日本語教授法」の授業教室である三〇七号教室に出向いたが、「日本語教授法は私の専門ではないので受け持つことができません。申し訳ないが、開講できません。後期に専門の中島先生がみえますので、受講してください。」と述べて退室した。そのため、前田講師及び村上元規事務局長(村上事務局長という。)は、原告を事務局長室に呼び、事情を聞いた。原告は、<1>資格がないことを理由に、担当を拒否する発言を学生にした、<2>前期に開講されるか、休講となるかについては明言しなかった。<3>後期の開講の有無や担当者についても明言はせず、但し、昨年まではベテランの専門家が非常勤で来ていた事実は伝えたと説明した。そこで、前田講師は、公表した時間割どおり、学生に学習する機会を提供する義務を履行するための方策をたてる必要があると判断し、村上事務局長とともに、岡垣学長に事の次第を報告した。岡垣学長は、前田講師、村上事務局長と相談の上、同日、「『日本語教授法』は時間割どおり開講されます。詳細は、おって掲示しますので、受講カードは教務課に提出して下さい。」という内容の「お知らせ」を掲示した。また、岡垣学長及び高崎教授は、同月一四日、原告に対して右の授業を担当するよう説得したが、原告は、「資格も経験もございません。」「私は、学長から『日本語教授法』の講習や何かに行ってきなさいという命令を受けたことはございません。」と述べて拒否し、物別れとなった。(<証拠略>)

そこで、岡垣学長は、翌一五日の夕方に緊急教授会を招集して話し合いが行われたが、原告は欠席した。その結果、同月一八日の授業は休講とせざるを得ないが、同月二五日の「日本語教授法」の授業に間に合うよう前期の「日本語教授法」の授業についてのみ非常勤講師を募集することとし(後期については、原告に翻意してもらう可能性を信じることとした。)、同月一九日に応募を締め切り、同月二〇日の教授会において採用を決定することとして非常勤講師の募集、採用を行うことが決定された。前田講師は、教務委員長の立場上候補者を探すこととし、東海大学留学生教育センターに勤務していた知人から、同所で非常勤講師を務めていた川木冴子(川木又は川木講師という。)を推薦されて、同人を非常勤講師の候補者として教授会に提案した。「日本語教授法」の非常勤講師については川木を含め二名の応募があったが、同月二〇日の人事委員会及びこれを受けた教授会で、川木を非常勤講師として採用する旨決定された。前田講師は、川木講師に対し、採用が決定された旨を電話で連絡したが、その際、同月二五日の授業に穴を開けないため、「とにかく二五日には来て下さい。一〇分でも結構ですから来て下さい。」と言って頼み込んだ。しかして、同月二五日から川木講師による「日本語教授法」の授業が行われた。また、同月二〇日の右教授会においては、「審査委員会(仮称)」を設置するとの議案が提出されて協議の結果、人事委員会にその検討を委ねることとされた。(<証拠略>)

(3) 岡垣学長は、同年五月二五日、同年六月一日午後四時から、議題を(1)名誉教授の称号授与について、(2)懲戒審査委員会(仮称)の設置について、(3)その他、として臨時教授会を開催する旨通知した。そして、同年六月一日「緊急就職対策委員会(仮称)の設置について」との議題も加えられて、右の教授会が開催された。(1)の名誉教授の称号授与については、同年三月三一日付けで定年退職した高橋前教授に名誉教授の称号を授与することが可決された後、(2)の懲戒審査委員会(仮称)の設置について議論された。まず、趣旨説明として、同年二月一八日の教授会で決議された右(六)の(8)に認定の「服務及び大学教員としてのあり方についての勧告」に対して原告の代理人弁護士から受け入れられないとの通知がされたこと、原告が右(七)の(2)のとおり「日本語教授法」の開講初日の授業を拒否したこと、四月二〇日以降人事委員会で慎重に検討がされた結果、地公法二九条一項二号、三号に該当する疑いが強いとの結論に達したことが報告された。そして、原告に関して地公法上の審査を行う必要があるとして、原告に地公法二九条一項二号、三号該当の事由があるか否かを審査し、その結果を教授会に報告するための懲戒審査委員会の設置について挙手により賛否が問われた結果、賛成が一四名、反対が三名であった。更に、人事委員会で審議するのか懲戒審査委員会で審議するのかについて挙手で賛否が取られたところ、懲戒審査委員会で審議するとの意見が九名、人事委員会で審議するとの意見が四名となり、懲戒審査委員会が設置されることが決定された。そして、懲戒審査委員会の委員については、定員が五名、被選挙人は岡垣学長及び原告を除くすべての教授会構成員とすることになり、投票により、得票数上位五名の諏訪教授、鈴木教授、木村教授、高崎教授及び齋藤荘之助教授が懲戒審査委員会の委員とされた。その後、委員の互選により鈴木教授が委員長に選出された。(<証拠略>)

(4) 原告は、木下教育長あての同年六月一四日付け書簡において、自分に対する嫌がらせが悪化していると主張した上「外語短大を管理監督する責任者である木下教育長にお願いしてまいりましたが、私に対するいやがらせは改善されるどころかむしろひどい状態になっております。私の人権を侵害して平気でいる岡垣学長らの暴走を再三にわたり黙認した教育庁(ママ)の人権感覚を疑わざるをえません。国籍、身分、性別などで差別されない正常な事件感覚こそ教育庁(ママ)に求められているものです。」として強く抗議の意を表明し、最低条件として、<1>日本語教授法及び後期の日本語は担当せず、ドイツ留学前に確認されていた担当(「日本文学」前期後期一コマ、「日本語表現法」前期後期一コマ、「日本語」前期一コマ、「文献講読」前期一コマ、「特別演習」後期一コマ)に戻す、<2>投書等対策委員会の報告及び辞職勧告を撤回する、<3>懲戒審査委員会をすぐに廃止する、<4>教授会を民主的に運営し、教授会議事録をきちんとする、との条件を挙げた(<証拠略>)。

(5) 同年六月二九日の教授会で、岡垣学長は、原告に対し、「日本語教授法」は時間割上、後期も開講することとされているので、今一度授業をしないということになれば学校の評判を落としたり、学生に動揺を与えることになるとして、平成六年度の後期の「日本語教授法」の授業を担当する意思があるか尋ねたところ、原告は、「文書で通知したとおりで変わらない。」と回答した。そこで、教授会では、川木講師に引き続き後期も依頼することを決定した。また、岡垣学長は、原告に対し、平成六年度の後期の「日本語」の授業を担当する意思があるか尋ねたところ、原告は「後期は担当しない。受講者も少なく、後期になぜ必要なのか疑問であり、相談もなく強引に進めてきたのは、民主主義に反する。」と回答した。教授会では、論議の上、既に決定されているのに担当できないという具体的な理由の説明を求めたが、原告は、「資料がないので回答できない。私がドイツへ行っていたころカリキュラムは変更しないと学長から手紙をもらった。」と述べて担当を拒否した。(<証拠略>)

(6) 原告代理人の伊藤弁護士及び芳野弁護士は、岡垣学長に対し、同年七月四日付け内容証明郵便により、懲戒審査委員会の設置手続に重大な瑕疵があり、無効であるとしてこれを撤回するよう求めた(<証拠略>)。

原告は、同月五日、知事、宮森副知事及び木下教育長に対し、右両弁護士作成の右内容証明郵便のコピーを同封した書簡を送り「何卒よろしくお願い申し上げます」と述べた(<証拠略>)。

(7) 同月二一日、岡垣学長及び村上事務局長は、原告の大学時代の指導教授である長谷川泉のもとを訪れ、原告が外語短大を円満に退職する途がないか相談に訪れた(<証拠略>)。

(8) 同月二九日、議題を「教員の人事案件について」として臨時教授会が開かれた。右の議題に関しては調整中であり、次回の教授会に諮ることとなり、懲戒審査委員長である鈴木教授から以下のとおり原告の調査に関する中間報告がされた。

「金子講師は『日本語』他三教科目の担当者として、平成二年四月に本学に採用されたが『日本語教授法』については、教える資格もなく経験もないといい教授会の決定に基づく再三にわたる要請にもかかわらず、未だに担当していない。また『日本語』についても、後期の担当を拒否している。これらは採用の際の条件に明らかに反するものであります。さらに入試委員に任命されたにもかかわらず、その職務を放棄し、大学運営に重大な支障と混乱を来した。平成四年度にドイツのハイデルベルグ(ママ)大学から客員研究員として招聘を受け、同大学の日本語科主任シャモニー教授と共同研究を行うという理由で職専免の申請をし、その扱いを受けて一年間ハイデルベルグ(ママ)大学に滞在した。しかし、シャモニー教授と共同研究を行う計画は全くなく、またフォーマルな招聘でなく、申請は虚偽の疑いが濃厚であることが判明した。大学管理機関である教授会の決定や学長の指示にも従わず、本来教授会で審議すべきことを外部の機関に働きかけた。また、学内・学外を問わず同僚教員への誹謗中傷や公の席で同僚教員の侮辱など名誉毀損を繰り返し、これらの言動により大学の名誉は著しく傷つけられた。」

そして、公の席で意見を交換した方がよいとの意見が多数あり、その結果、次のとおりの質問及び意見が述べられた。(<証拠略>)

<1> 本件に係る今後のスケジュールとその対応について質問があったが、処分については設置者との協議もあるし、日程等を話すことは難しい。

<2> ハイデルベルグ(ママ)大学のシャモニー教授の件における事実関係の経緯について、質問があったが、この件については裏付けをとっているが詳しくは説明できない。

<3> 本件に関する処分について、判定できるだけの証拠の提出が可能なのかどうか質問があったが、結論に必要な書類は提出する予定である。

<4> どれ一つとっても、厳罰に値する事実であるのではないかとの問いかけに、公務員は身分が保障されている。余程のことがないと厳罰にならない、どう立証するかが問題となる。訴訟となれば、証拠を固めるのが重要となり中間報告の段階なので、まだ少し時間がかかる。

<5> 客員研究員としてでなくドイツへ行ったとなれば紀要の研究業績表に記載されたことが経歴詐称になり、対外的に影響が出てくる。

<6> 金子講師に以前勧告された「服務及び大学教員としてのあり方についての勧告」より後退する措置であったなら疑問が生じる。

<7> その他本件に係る大学自治と設置者との関係について論議がなされた。

(9) 原告は、宮森副知事に対し、同年八月四日付け書面により、岡垣学長及び村上事務局長が長谷川泉のもとを訪れたことについて、抗議を述べた(<証拠略>)。

(10) 入試委員会委員長の鈴木教授は、同年八月三一日、原告に対し、平成七年度の国語の問題作成を依頼する旨文書で伝達した。原告は、同月二一日から、コペンハーゲン大学で同月二二日から二六日まで開催された「第七回ヨーロッパ日本研究者会議」に参加し、それに引き続いてドイツで森鴎(ママ)外の留学時代の実地踏査及び足跡を巡り、資料収集を行うため、同年九月七日まで海外渡航中であったが、帰国後の同月一〇日、右文書について「論理的に意味不明な点が多いのでご質問申し上げます。」と前書きをした上、岡垣学長からの委嘱状が交付されていないこと及び同年六月二二日の入試委員会で問題作成について決定されていたにもかかわらず原告には通常の依頼よりも一か月以上遅れて依頼されたことについて説明を求めるとともに、「私への作問依頼が一カ月以上も大幅に遅れたのは、すでに国語についてはどなたか適任の方に入試問題の作成を委嘱しておられたと推測いたします。」と述べて原告なりの勝手な推測を交え、右推測した事実を前提として、「その方はどなたでしょうか。すでに委嘱されている方が、私から見ても適任であれば、よろしいかと存じます。」と述べ、更に、懲戒審査対象の自分に対し「大事な入試問題の作成を依頼するからには、すでに懲戒がないという結論が出たのでしょうか。鈴木入試委員長は懲戒審査委員長も兼ねておられるので、明確なご見解をお願いします。」と尋ねる旨の鈴木教授あての文書を提出した。その後、原告は、同年一二月一五日付けの書面において、同年九月一〇日付けの文書における質問及び「同年一一月一六日までに現代文の入試問題を作成するよう」外部の者に依頼した理由について、鈴木教授に対し、回答を要求した。(<証拠略>)

(11) 同年九月二一日に、議題を「非常勤講師の募集について」として教授会が開かれ、平成六年度後期の「日本語教授法」及び「日本語」の授業の担当について話し合われる予定であった。右の開催の通知については、同月一六日に原告の自宅の留守番電話に伝言を残し、かつ研究室の連絡用ボックスに開催通知を入れることによってなされた。しかし、原告は、同月二一日当日の午前一一時一〇分ころ電話で欠席する旨の連絡をした。そこで、村上事務局長は、電話連絡がありうることを伝えた上、事務連絡としてファクシミリを送信することもありうるのでファクシミリの番号を教えてほしいと連絡をし、原告は答えた。教授会では、岡垣学長から、後期の「日本語教授法」については、原告が同年六月二九日に担当しないとの意思を表明したため前期の川木講師に引き続いて依頼したいこと、後期の「日本語」(月曜日第一時限)一コマについても、同日、担当しないとの意思表明があり、本日の教授会で改めて原告の意思を確認する予定であったが、原告が欠席したため確認をとることができず、再度意思確認を待っていると混乱を来すおそれがあったため、右六月二九日の意思表明に基づいて後期の「日本語」については非常勤講師を募集することとしたいと提案があった。これに対し、原告の意思を確認したほうがよいとの意見が出され、右の意見に一〇名が賛成したため、原告の意思を電話で再度確認することとした。ところが、午後二時ころから電話連絡を取ろうとしても電話がつながらず、議事を中断して教員協議会に入り、これを挟んで午後五時ころまで何度も電話(外語短大の電話及び公衆電話)又はファクシミリで連絡を取ろうとしたが、結局連絡を取ることができなかった。外語短大では、NTTに問い合わせるなどして連絡を取ろうと努めたが、NTTは、原告方で電話のプラグを抜いているとしか考えられないと回答した。そこで、教授会では、原告に意思確認をするすべを失い、原告が不在のままであっても後期の「日本語」については新たに非常勤講師を募集して担当してもらうことと決定せざるを得ないとの結論に達し、出席者一七名中一六名の賛成により後期の「日本語」について非常勤講師を募集することが決定された。(<証拠略>)

そして、同月二八日に臨時教授会が開かれた。原告は欠席した。この教授会において、「日本語」の担当は原告であるが、授業に穴が開くのを避けるための緊急避難的措置であって、非常勤講師の採用が原告の主張を認めたものではないことを確認の上、「日本語」後期の授業について近藤圭一を非常勤講師として採用することについて採決された。その結果、賛成が一五票、反対が一票、白票が一票で採用することが決定した。また、この席上、採用された非常勤講師の心情や社会通念を考慮して、仮に原告が後になって、後期の「日本語」の授業を担当すると言い出したとしても、右の非常勤講師が担当するものであるとの確認もされた。(<証拠略>)

(12) 原告は、前田講師に対し、同年一二月一五日付け書面により、同月一四日に原告の連絡用ボックスに原告の氏名が記載された平成七年度の「日本語教授法」の講義要項の用紙が入れられているが、日本語教育の資格も経験もなく同科目の授業は担当することができない旨主張し、右のような「いやがらせ」は今後一切止めるよう申し伝えた(<証拠略>)。

(13) 原告は、平成七年度の「日本文学」「日本語」「日本語表現法」の講義要項について執筆を依頼され、その用紙の配布を受けたが、右用紙には既に外語短大の事務局により科目名、担当教員名、担当期(前期、後期)が記載されていたため、原告は、「日本語」の講義要項の用紙の担当期欄の「後期」の表示部分を修正液で消去した上で右の三科目の講義要項を執筆して提出した。(<証拠略>)

(八)(1) 木下教育長は、原告に対し、平成七年二月二〇日付け書面により、「外語短期大学のことにつきましては、いろいろとお手紙をいただいております。さて、昨年五月以来、貴方と外語短期大学をめぐる懸案事項につきましては、円満な解決に向けて調整に努めてまいりましたが、その後、諸般の事情により、調整を続けることが困難な状況になってきましたので、その旨ご了承ください。」と通知した(<証拠・人証略>)。

(2) 同年二月二八日に議題を「(1)非常勤講師の採用について、(2)平成七年度教育課程について、(3)教員の人事について、(4)その他」として臨時教授会が開かれた。右の議題は五日前にも通知されていたが、原告は欠席した。(1)及び(2)の各議題については特に議論もなく可決された。そして、(3)の議題に入り、まず懲戒審査委員会の開催状況や地公法二八条一項に規定する処分にはどのようなものがあるか等の説明がなされ、次に、以下の審査事由説明書(案)が提出されて読み上げられた。

「処分の種類及び程度

分限免職

根拠規定

地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号

(審査の事由)

あなたは、『日本語(ママ)』『日本語表現法』『日本語教授法』『日本語』の担当専任教員として、平成二年四月に本大学に採用されましたが、『日本語教授法』については教える資格も経験もないといい、大学の配慮により十分な研修期間が与えられているにもかかわらず、教授会の決定に基づく再三にわたる要請にも応ぜず、平成六年度前期、後期とも担当していません。平成六年四月には授業拒否により二週休講になり、学生に多大な迷惑をかけました。

また、『日本語』については平成五年度前期は担当しましたが、後期については再三の要請にもかかわらず、拒否し続け直前になって担当を申し出るなど大学に混乱と支障をもたらしました。平成六年度後期は拒否し担当しませんでした。

これらは採用の際の条件に明らかに反するものであり、さらに教授会の決定に服さないとともに学生に対する背信行為であります。やむを得ず、大学が緊急配慮し欠講を避ける措置をとってきましたが、担当科目を二科目も拒否していることは許されません。

また、平成五年度には学長があなたを入試委員に任命したにもかかわらず、入試委員会に一度も出席しませんでした。委員会は教授会の下部機関で、大学の円滑な運営に不可欠な組織であり、専任教員の重要な職務です。あなたは上司の再三の注意、指導にも耳を貸さず、話し合いにも応ぜず、文書を乱発し、勝手な理由で専任教員としての当然の義務を怠り、大学の運営に支障をきたしました。

さらに、あなたは平成五年四月六日、同年六月一六日、平成六年二月一八日の教授会において、議長の指示に従わず議事進行を妨害したり、また、学内の問題を学内で取上げず、みだりに、かつ、不確かな伝聞に基づいて学外に働きかけ、同僚教員の誹謗中傷を行い、大学や教職員に多大な迷惑をかけるなど、およそ大学教員としての自覚がなく、大学人としての資質を欠いていると言わざるを得ません。

以上のことから、あなたは地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号に規定するその職に必要な適格性を欠くものと判断されます。

(交付)

神奈川県立外語短期大学教授会は、上記の事由により分限免職に該当するものと認め、教育公務員特例法第六条第二項の規定により、この審査事由説明書を交付します。

(教示)

教育公務員特例法第六条第二項の規定により、この審査事由説明書を受領した後一四日以内に神奈川県立外語短期大学教授会に対して請求した場合には、口頭又は書面で陳述する機会が与えられる。」

さらに、分限免職とする理由として、右の事情は懲戒処分及び分限処分のいずれにも該当するが、大学の運営に支障をきたしたとの理由から、分限免職処分とすることが相当であるとの報告さ(ママ)れた。これに対しては、「平成五年四月に金子講師がドイツから帰国後同年四月上旬、教育長あてに我々に対する誹謗中傷を行った。その文書の内容は悪意に満ちて、人に言うことを憚れるようなことが書いてあった。弁護士を通して原告に書面を出したが、回答は『そういうことを問うこと自体がおかしい』と言ってきたので、告訴し現在裁判で係争中であるが、民事裁判なので、結論が遅い。結論が出ていれば厳しい処分を望んだが、委員会案に賛成である。」「昨年、金子講師に対して『服務及び大学教員としての在り方についての勧告』を行ったが、こういう形で結論が出てしのびないが委員会案に賛成である。また、どこかに本人が罰せられるべきことを明記してほしい。」との意見が出された。そして採決がされたところ、賛成一四票、反対一票、白紙一票となり、三分の二以上の賛成により承認された。提案どおり承認された右の審査事由説明書は、同年三月三日に原告の自宅に郵送され、同日原告がこれを受領した。(<証拠略>)

(3) 岡垣学長は、同年三月二日付けの文書で、各教員に対し、同月八日午後二時四〇分から三月の臨時教授会を開催する旨通知した。議題は「(1)平成六年度卒業者の認定について、(2)その他」と記載されていた。右文書は、同月三日、外語短大からファクシミリにより原告に送信された。(<証拠略>)

(4) 原告代理人の伊藤弁護士及び芳野弁護士は、外語短大の教授会あてに、同月六日付けの「質問状」と題する内容証明郵便を同月七日に発送し、「審査事由説明書」について以下の点について質問した。右郵便は、同月八日午前中に外語短大に配達された。(<証拠略>)

一 どの事実が、地公法二八条一項一号及び三号のそれぞれの号に該当するのか。

二 十分な研修の機会が与えられているというのは、どのようなものか。

三  採用の際の条件とは何か。

四  入試委員の任命とはいつどの手続でなされたのか。

五  上司とは誰のことを指すのか。上司の注意、指導とは具体的にどのようなものか。

六  話し合いというのは、いついかなる申出によるものか。

七  乱発した文書とはどのようなものか。

八  勝手な理由とはどのようなものか。

九  議事進行の妨害とは具体的にどのようなものか。

一〇  学内の問題を学外に働きかけ、同僚教員を誹謗中傷して、大学や教職員に多大な迷惑をかけたというのはどのような事実を指すのか。

一一  審査事由説明書に記載された事実が処分の基礎となる事実のすべてか。

同月八日の教授会で、岡垣学長は、右の質問状の写しを出席者に配付し、説明をした。そして、右の質問状に対する回答については、教授会により、岡垣学長と懲戒審査委員長である鈴木教授に委任された。そして、岡垣学長は、次回の定例教授会が同月一五日であること及び原告の陳述請求期間が同月一七日までであるため同月二二日に臨時教授会を開くと述べた。(<証拠略>)

(5) 岡垣学長は、同月九日付けで、同月一五日に三月の定例教授会を開催する旨各教員あての文書で通知し、右文書は、同月一〇日、外語短大からファクシミリにより原告に送信された。右文書では、議題として、「(1)平成七年度聴講生選考合格者決定について、(2)平成七年度各種委員長等の改選について、(3)その他」と記載されていた。(<証拠略>)

(6) 岡垣学長及び懲戒審査委員長である鈴木教授は、教授会の委任を受け、同月一〇日付けの外語短大教授会名義の書面により、伊藤弁護士及び芳野弁護士の同月六日付けの質問状の各項に対して以下の回答をした(<証拠略>)。

一について

「日本語」及び「日本語教授法」を担当しないこと並びに入試委員を拒否したことは地公法二八条一項一号に該当し、三号には審査事由すべてが該当する。

二について

平成二年に採用されて以来、五年間にわたり教特法二〇条にいう研修の機会が与えられている。平成六年に限っても九三日間勤務場所をはなれての研修の機会が与えられた。平成五年以前もほぼ同日数の研修の機会が与えられている。

三について

書面による採用条件は「日本語」「日本語表現法」「日本語教授法」及び「日本文学」を担当することで、面接試験でもこれら四科目の担当を確認している。さらに面接試験では週五~六コマ担当すること及び入試問題を作成することが加えられた。

四について

本学教授会の議決で定められた入試委員会規定三条により学長が入試委員を任命することになっており、平成五年四月六日の教授会において学長は口頭により金子講師ほか四名を入試委員に任命した。

五について

上司とは、学校教育法五八条三項に定められた大学を統督する学長であり、学長から速やかに委員会活動に参加するよう平成五年四月一三日、同四月二一日など再三注意、指導した。同年七月一二日には書簡でも指導した。

六について

学長は平成五年四月二一日の教員協議会の席をはじめ同年五月二七日及び六月二日に口頭で学内での話し合いを重ねて求めた。

七について

学内の問題について教職員に対し、いちいち配達証明付きで書簡を送付してくるため、平成五年六月三日付けで学長から大学内の問題については書簡で行わず話し合いでの解決を求めたにもかかわらず、在外研究の妨害、女性差別、人権、教育権の侵害が行われているので入試委員の任命を拒否するという書簡を平成五年五月二一日教育長及び学長あてに送付した。その他学内の問題について話し合うことなく、教務委員長、事務局長などに数々の書簡を送付してきた。

八について

例えば「日本語教授法」については「教える資格も能力もない」といい、入試委員については「作問委員は入試委員を兼ねることができない」など根拠のない勝手な理由をつけている。

九について

教授会規程を無視し、議題にないことを勝手に発言し、議長の再三の制止にかかわらず発言を続けるなどの行為があった。

一〇について

平成五年四月九日に事実に反する事柄を多数記載した書簡を教育長宅へ送付したため、疑いをかけられ事実関係の調査を受け多数の教員が多大な迷惑をこうむった。

一一について

金子講師は、明らかに教育公務員として適格性を欠くと認められる。

そのことを証明する行為は審査事由説明書に記載したとおりである。

(7) 原告は、平成七年三月一五日の教授会で、事実関係を問い合わせた上、審査事由説明書に釈明をしようとしたが、岡垣学長は、弁明の機会は別に与えられている、ここはそういうことを議論する場ではないと述べて原告の発言を止めさせた。なお、岡垣学長は、同日の教授会でも、次の教授会が同月二二日に開催されることを述べた。(<証拠略>)

(8) 原告は、岡垣学長あてに、同月一五日付けの「反論書」と題する内容証明郵便及び同日付けの「抗議文」と題する内容証明郵便を送付した。右各郵便は、いずれも同月一六日に外語短大に配達された。右の「反論書」は、審査事由説明書記載の各事実について原告の見解を以下のように述べるものであった。

一 「日本語教授法」については採用条件とされていない。また、平成六年度は「文献講読」(前期)、「特別演習」(後期)、「日本語表現法」(前期及び後期)、「日本文学」(前期及び後期)、「日本語」(前期)というように五科目も担当している。

二 「日本語教授法」については特別な研修期間を与えられたものではない。また、既に自分は資格も経験もないことを再三文書で提出している。中島講師を理由なく突然解雇したことは、「日本語教授法」を無理やり担当させるための手段である。

三 平成五年度の後期の「日本語」については、自分の留学中に事前の説明もなく追加変更されていた。また、平成五年八月三日に岡垣学長及び久保管理部長との三者会談で後期の「日本語」を担当しないという合意ができていたが、同月九日の教授会で自分の反対意見を無視して教員協議会に切り換えられ、その後、自分が帰宅した後に教授会が開催され、多数決により、自分の提出した「後期の日本語の免除願い」が否決された。

平成五年一一月の教授会における平成六年度教育課程の審議で、本人への何の説明もないまま多数決で「日本語教授法」を担当するよう押しつけた。その後も岡垣学長とは話し合いを続けたが、岡垣学長は、右の話し合いを一方的に中断し、平成六年二月一八日の教授会において突然自分に対して辞職勧告を行った。

その後も平成六年五月には、木下教育長を仲介にして話し合うことについて岡垣学長と合意したにもかかわらず、岡垣学長は、同年六月に右の合意を踏みにじり、自分を懲戒するための「懲戒審査委員会」を強引に設置した。

四 入試委員については、従来、作問委員と兼ねることは避けたほうがよいという申し合わせが存在した。

五 教授会における議事進行の妨害の事実は一切ない。具体的事実の提示を求める。

六 学内の問題を学外に働きかけた、同僚教員の誹謗中傷を行ったとの記載は感情的なものであり、具体的なことは一切書かれておらず、不謹慎である。

七 審査を行った主体が誰であるのか、誰が「審査事由説明書」を作成したのか、誰が提案したのかについて明確に記述することが最低限の義務であって、「審査事由説明書」は形式的にも不十分である。また、教授会からの「回答書」についても、内容も、質問に対する具体的な証拠もなく、きちんとした回答になっていない。

以上、「審査事由説明書」は、形式、調査方法、審議経過いずれも社会常識の範囲を大きく逸脱しており、内容も全く根拠のないものであり、無効である。

また、右の「抗議文」は、平成七年二月二八日の臨時教授会において、事前に何の説明もないまま、岡垣学長が、原告の担当科目について保留すると述べ、平成七年度の「教育課程」において担当科目が空欄として処理されたことについて、その法的根拠及び妥当性があるのか、また分限免職の決定前に担当科目から外すというのは法的根拠があるのかについて説明を求めるとともに、自分には教育をする権利及び義務があることを表明するというものであった。更に、原告は、同日、宮森副知事に対し、同月二六日にされた決議について理由がなく、また公正さを欠いたものであると主張するとともに、「このような不当なことには断じて屈することはできませんので頑張る所存です。」「何卒お力添えの程何分にもよろしくお願いいたします。」と記載した書面を送付し、右の「反論書」も同封した。(<証拠略>)

(9) 臨時教授会が同年三月二二日午前中に開かれることが決定され、岡垣学長の決裁後、同月一七日に浜田管理課長によって、教授会開催通知書が専任教員の連絡用ボックスに入れられた。その後、同月二二日午後にも教授会が開催されることとなったが、議題が未定であったため、外語短大の管理課の職員から電話によって、同月二二日の午後にも教授会が開かれる予定であること及び右の議題が調整中であることが専任教員に伝えられた。そして、午後の教授会については、議題が決定された後、開催通知書が各教員の連絡用ボックスに入れられた。(<証拠略>)

そして、臨時教授会が、同月二二日午前一〇時から午後〇時までの間、議案を「教員の人事について」として開催された。原告は、当日午前九時ころ、風邪のため欠席する旨外語短大の管理課職員に架電した上で欠席した。また、このほか宮武助教授及び新谷雅樹講師の二名の教員が欠席し、一五名が出席した。まず、岡垣学長は、伊藤弁護士及び芳野弁護士作成の同月六日付け「質問状」、教授会作成の同月一〇日付け回答書、原告作成の同月一五日付け「反論書」及び「抗議文」並びに教授会作成の同年二月二八日付け「審査事由説明書」の各写しを配布した上、以下のように事実経過を説明した。

「平成七年二月二八日の臨時教授会で金子講師の審査事由説明書について審議し、その結果、その日のうちに速達配達証明付きで、審査事由説明書を金子講師宅に郵送した。三月一日に着くはずであったが、郵便配達証明書の証明は三月三日になっていた。

陳述する場合は、一四日以内に申し立てることになっているので、期限は三月一七日までになる。

この期限は既に経過している。

金子講師代理人の弁護士から質問状が郵送されてきた。これについて、三月八日の臨時教授会で報告し、回答については学長に一任されているので、回答を金子講師代理人の弁護士あてに郵送した。

その後、金子講師から反論書及び抗議文が送付されてきた。反論書については、懲戒審査委員会において検討していただいた。」

そして、右の「反論書」について各教員が一五分間目を通し、この中で引用されている「服務及び大学教員の在り方についての勧告」「調査報告書」について岡垣学長から、また「審査事由説明書」については懲戒審査委員長及び村上事務局長からそれぞれ説明がなされた。そして、右の「反論書」を項目ごとに七つに分け、さらに、原告の主張と判断される項目ごとに細かく分けて、既に審議されている懲戒審査委員会での見解をもとに、本件反論書の当否を細かく確認しながら、意見交換して審議が行われた。そして、審議終了後、「審査事由説明書」のとおりの内容で原告を分限免職にすることについて投票に諮られ、分限免職に賛成する意見が一四票、反対する意見が一票であり、三分の二以上の賛成により分限免職とすることに決定した。なお、原告は、翌二三日、村上事務局長に対し、分限免職の正式通知を文書で送付するよう依頼した。岡垣学長は、同月二七日、原告に対し、「平成七年三月二二日(水)に開催された臨時教授会において金子講師の処分について審議され、分限免職と決まりました。教育委員会へ内申しましたのでお知らせします。」との書簡を送り、右書簡は、同月二八日に原告に到達した。(<証拠略>)

(九)(1) 岡垣学長は、同月二三日、教育長あてに、原告に係る地公法二八条一項一号及び三号該当性について同月二二日に開かれた教授会において、その処分を右の「審査事由説明書」のとおり、分限免職処分として承認議決された旨、教特法一〇条により申し出る内申書を提出した(<証拠略>)。

(2) 原告の代理人伊藤弁護士及び芳野弁護士は、被告教育委員会に対し、同月二九日付け内容証明郵便において、教授会から提示された「審査事由説明書」に記載されている内容は、虚偽もしくは事実を特定せずに曖昧な表現に終始しているため、分限免職にされる理由は一切なく、しかも教授会での決議にも手続上の瑕疵があり容認できないから、被告教育委員会としても原告を分限免職処分とすることがないよう求めるとともに、弁明する機会を設けるよう求める旨述べ、右郵便は、同月三〇日に発送され、翌三一日に被告教育委員会に到達した。また、原告は、木下教育長に対し、同月二八日付け書面により、右の分限免職決議は手続、審議経過とも不透明なものであり、かつ、その理由は事実に基づかず根拠のないものであると主張した上、自ら作成した「無効宣言書」も併せて送付した。更に、岡垣学長あてに、同月二九日付けの「抗議書」と題する書面を送り、審査事由説明書の内容には根拠がないことおよび決定手続に重大な瑕疵があることを主張した。(<証拠略>)

(3) 被告教育委員会は、同年四月四日、伊藤弁護士及び芳野弁護士に対し、大学教員の処分については、教特法の規定により、大学管理機関において実質的な審査をすべきものとされており、要求には応じられないと通知した。また、被告教育委員会は、同日、秘密会を開き、木下教育長から、教特法一〇条の規定による大学管理機関からの申出に基づき、原告の分限免職処分を行いたい旨提案され、処分理由について次のとおり説明された。

処分理由

事案の概要

○ 原告は、「日本語」「日本文学」「日本語表現法」及び「日本語教授法」の担当職員として、平成二年四月に採用されたが、「日本語」及び「日本語教授法」の授業について、十分その職責を果たさなかった。

「日本語」については、平成五年度前期は担当したが、後期については、教授会の決定等を不服として、再三の要請にもかかわらず授業を拒否すると主張し続け、直前になり漸く授業を行うことを申し出るなど大学運営に混乱と支障をもたらした。

平成六年度については、前期の授業を行ったが、同様の理由により後期の授業は拒否し行わなかった。

○ また、「日本語教授法」については、平成六年度から担当することを教授会で決定したにもかかわらず、教える資格も経験もないと主張し、再三にわたる要請にも応ぜず、平成六年度前期、後期とも授業を行わなかった。その結果、平成六年四月には二週休講となり、学生に多大な迷惑をかけた。

○ また、平成五年度において、学長から教授会の下部組織である入試委員会の委員に任命されたが、上司の再三の注意、指導にもかかわらず、合理的な理由もなく、入試委員会に一度も出席せず、その職務を果たさなかった。

○ さらに、平成五年四月六日、同年六月一六日及び平成六年二月一八日の教授会において、議長の指示に従わず議事を妨害した。

また、学内問題について、話し合いに応ぜず、書面により一方的に自己主張を行い、学内で自主的な解決を図ろうとしなかった。さらには、確たる根拠を示さずに同僚教員を誹謗中傷し、また、教育長等に同様の書面を送付した。

このように組織人としての自覚と協調性に欠ける言動が多々あった。大学管理機関の審査

○ 本件については、教特法六条による大学管理機関の審査の結果に基づき同法一〇条による学長からの申出があったものである。

平成六年六月一日 教授会において懲戒審査委員会の設置を議決

平成六年六月二二日~七月二七日懲戒審査委員会(五回開催)

平成六年七月二九日 教授会において懲戒審査委員会の中間報告

平成七年一月二五日~二月二二日懲戒審査委員会(五回開催)

平成七年二月二八日 教授会において審査事由説明書の審議、議決

平成七年三月六日 代理の弁護士からの質問状を教授会に提出

平成七年三月一〇日 質問状に対する教授会の回答

平成七年三月一五日 原告から反論書提出

平成七年三月二〇日 懲戒審査委員会

平成七年三月二二日 教授会において分限免職処分を審議・議決

○ 大学の審査の中で、原告は、

・ 「日本語」の授業の拒否については、事前説明もなく担当することになったので拒否した。

・ 「日本語教授法」については、必ず教えるとは言っていないし、資格も経験もないので拒否した。

・ 作問委員と入試委員を兼ねることは疑惑を生じるため拒否した。

・ 教授会の進行妨害の事実はない。

・ 学外への働きかけ、同僚教員の誹謗中傷については、審査事由説明書に書くことは不謹慎なものである。

と反論している。

○ しかしながら、事実調査をしたところ、原告の主張は、合理的な根拠がないものと認められる。

○ また、原告の言動は、学長等の再三の指導、要請にもかかわらず、一向に改まらず、これを放置できない事態に至っている。

結論

○ 以上を総合すると、原告は、およそ地方公務員である大学教員としての自覚に欠け、組織の一員として相応しくない性行を有していることから、大学教員としての資質を欠いているといわざるを得ない。

○ よって、地公法二八条一項一号及び三号に基づき処分するものである。

右の説明の後、特に質問がなく、採決されたところ、原案どおりに採択され、被告教育委員会は、原告を地公法二八条一項一号及び三号により神奈川県公立学校教員を免ずる旨決定した。(<証拠略>)

(4) 岡垣学長は、同日午後四時四〇分ころ、原告の自宅に架電したところ、原告の夫が電話に出たが、すぐに切ったため、同四五分ころ再度かけ直したところ、留守番電話となっていたので、「金子先生に至急連絡したいことがありますので、大学で一時間ほど待っていますので電話ください。」とのメッセージを入れて伝言した。原告は、午後六時以降に帰宅したため、電話をしなかった。村上事務局長は、午後五時五〇分ころに原告の自宅に電話したが、留守番電話であったため、原告の自宅を直接訪問することとし、同五五分ころ外語短大を出発して、午後七時一〇分ころ、原告宅所在地に到着した。しかし、オートロックシステムの共同住宅であったことから中に入れず、共同住宅玄関のインターホン越しに、原告の夫に対し、原告に連絡したいことがある旨伝えた。しかし、原告の夫がインターホンを切ったため、村上事務局長は、予め用意した「教育委員会から辞令交付がありますので、四月五日(水)午前一〇時までに外語短期大学学長室においで下さい。県立外語短期大学学長」と記載したメモ紙片(A四判サイズを半切りしたもの)を封入した封筒を原告宅の郵便受けに入れた。(<証拠略>)

(5) 外語短大は、同月六日、入学式を行った。原告は、当日午前九時〇五分ころ、外語短大に電話をし、村上事務局長に「今日、かぜを引いたので休みます。」と言って電話を切った。村上事務局長は、同日午前九時〇八分ころ、原告に対して電話をし、午後一時に教育委員会の職員が辞令交付に来るので交付を受けに来て下さいと言ったが、原告は、教育長以外からは受け取らない旨答えた。その後、午前一〇時ころ、教育庁の玉田室長代理は、原告に電話をし、これから自宅に辞令を持参する旨伝えたが、原告は、拒否し、内容証明郵便で送付することを求め、玉田室長代理は、同日、「地方公務員法二八条一項一号及び三号により神奈川県公立学校教員を免ずる。」との同月五日付けの被告教育委員会の辞令と処分説明書を内容証明郵便により送付した。(<証拠略>)

(一〇)(1) 原告の分限免職処分がされた後も、外語短大の学生の中には、原告の研究室に立ち入り、原告が開催する私的なゼミに参加していた。これに対し、外語短大の掲示板には、原告の研究室への立ち入りを禁止する旨の掲示がされ、原告の研究室の扉には、「許可なくこの研究室の使用を禁止する。」と記載された紙が掲げられた。また、岡垣学長は、平成七年四月一三日に開催された二年生の就職説明会において、本件処分について新聞で取り上げられていることに関連して事実経過について説明をした上、原告は分限免職処分となったのだから原告の研究室に入らないように述べた。(<証拠略>)

(2) 岡垣学長は、同年一〇月一二日の全国公立短期大学の学長会に出席したところ、原告についての本件処分の経過について報告を求められ、事実経過を説明した(<証拠略>)。

2 「日本語教授法」の授業の担当の拒否について

(一) まず、原告は、原告は「日本語教授法」の授業を担当するとの条件により採用されたのではないと主張するので検討する。

(1) 前認定のとおり、外語短大においては、内外の要請に応えて日本語関連科目の充実が企図され、従来の「日本語表現法」及び「日本文学」に加えて「日本語」「日本語教授法」を新設して、これら四科目を担当すること及び入試問題を作成することを条件に専任教員一名を採用することを被告神奈川県に要求していたこと、平成元年六月七日の教授会で、木村学長が一人の教員で四科目を担当することを予定している旨述べたこと、原告の採用が決定された後の同年一二月一三日の教授会において、原告が「文学Ⅰ」「日本語表現法」「日本語」「日本語教授法」の四科目を担当するとの平成二年度の教育課程が承認されていることなど、専任教員募集の経緯、原告の採用過程(採用面接時の状況及び人事委員会における選考の経過)及び採用後の運営状況を考慮すると、原告は「日本語教授法」の授業も担当する専任講師として採用されたものと認められる。また、前認定の採用後の原告の言動、特に、原告が「日本語教授法」の英文名称について前田講師に相談した結果右名称が決定されていること、原告が前田講師に対してドイツで日本語を教えていたから「日本語教授法」の授業の担当には支障がない旨述べていること等からして、原告が「日本語教授法」の授業の担当を了解していたことが認められる。

なお、前掲公募要領(<証拠略>)には担当科目として「日本語」、「日本語表現法」、「日本語教授法」及び「日本文学」の四科目が掲げられていたが、「『日本語』及び『日本語表現法』は必ず担当のこと。」との注記があり、照木元教授は、人事委員会における口頭審理において、公募要領では、国語学(日本語学)の専門家あるいは文学の専門家を募集することとし、「日本語」「日本語表現法」は必須であるが、専門によって「日本語教授法」か「日本文学」のどちらかが担当できればよかったと述べ、高崎教授も、二科目で応募者が集まることを期待していた旨述べる。また、原告も、四科目すべてであれば二人専任教員を採用することになると考えたと述べる。(<証拠略>)

しかし、右の公募要領を前提としても、一人の教員のみを募集することはその経緯からみて明らかであって、「日本語教授法」及び「日本文学」についても担当できる応募者が有利に扱われることは当然に予想できるから、公募要領の記載や高崎教授の陳述から直ちに二科目のみの専任教員の募集をしたと認めることはできないし、照木元教授の陳述を前提とすると、文学の専門家であったとしても「日本語」及び「日本語表現法」の担当が必須であったことになるのであって、前記認定の募集の経緯をも併せると、公募要領の記載から、もともと文学の専門家を募集するとみることには無理がある。

(2) なお、原告は、「日本語教授法」の担当とはされていなかったことを証するものとして、次の書証を提出するので検討する。

イ 平成三年度なしい平成五年度の学生便覧中の教員名簿(<証拠略>)においては、原告の担当科目は、平成三年度は「文学Ⅰ」及び「日本語表現法」、平成四年度は「日本語」、「文学Ⅰ」及び「日本語表現法」、平成四年度は「日本語」「日本文学」及び「日本語表現法」とされており、いずれにおいても「日本語教授法」の記載はない。しかし、右の学生便覧中の教員名簿は、専任教員の住所・電話番号等の連絡先を明示したものであるから、担当科目は検索手段としての意味を有するものであり、そうであれば実際に担当する科目を明示して学生の便宜に供するのが当然である。そしてその経緯はどうであれ、原告が右各年度に右科目名を担当し、「日本語教授法」を担当しなかったこと(教育課程と同じ)は事実であるから、右各記載は原告が「日本語教授法」の担当として採用されたとの右認定を左右するに足りない。

ロ 平成二年度ないし平成六年度の入学生用の教務手帳中の職員名簿(<証拠略>)においては、原告の担当科目は、平成二年度ないし平成四年度は「文学Ⅰ」及び「日本語表現法」、平成五年度及び平成六年度は「日本語表現法」及び「日本文学」とされており、いずれにおいても「日本語」及び「日本語教授法」の記載はない。しかし、右の教務手帳は、もっぱら教員が自己の用に供するためのみに作成されたものにすぎず、教員の担当科目欄についての記載が重要となるものではない。しかも、教育課程の記載と対照すると、教務手帳は、実際に開講された科目など一部の科目のみを記載する趣旨であったと解することができる(<証拠略>)。したがって、右の記載は原告が「日本語教授法」の担当として採用されたとの右認定を左右するに足りない。

ハ 平成二年度ないし平成六年度の「全国短大高専職員録」(<証拠略>)においては、原告の担当科目は、平成二年度は「日本語表現法」及び「文学Ⅰ」、平成三年度は「日本語表現法」及び「文学」、平成四年度は「文学Ⅰ」及び「日本語表現法」、平成五年度及び平成六年度は「日本語表現法」及び「日本文学」と記載されており、いずれにおいても「日本語」及び「日本語教授法」の記載はない。しかし、右は外語短大が作成した文書ではないから、右文書は原告が「日本語教授法」の担当として採用されたとの右認定を左右するに足りない。

ニ 平成四年度の外語短大の入学案内(<証拠略>)には、「日本語」及び「日本語教授法」の担当者が未定とされており、原告は「日本語表現法」「特別演習」及び「文学」の担当者として記載されている。しかし、右の記載についても、平成三年当時の実際の担当科目のみを表示したにすぎないと認められるから、右記載は原告が「日本語教授法」の担当として採用されたとの右認定を左右するに足りない。

(3) 逆に、原告が任用された年度である平成二年度の教育課程(<証拠略>)には、原告の担当科目は「文学Ⅰ」「日本語表現法」「日本語」「日本語教授法」「特別演習」とされているところ、教育課程は、学生の単位の認定、進級及び卒業等の重要な問題を明確にしておく意義を有しており、その記載を軽視することはできない。更に、平成二年度学生便覧中の職員名簿(<証拠略>)にも、原告の担当科目は「文学Ⅰ」「日本語表現法」「日本語」「日本語教授法」とされている。平成二年度中に作成されたことが明らかな平成三年度入学案内(<証拠略>)においても、「日本語表現法」「日本語」「日本語教授法」「特別演習」及び「文学」が原告の担当とされている。これらは、原告が「日本語教授法」をも担当するものとして採用されたことを端的に示しているものといえる(なお、平成二年度は、「日本語教授法」が二年次生配当とされていたため、現実に授業が行われなかったにすぎないから、右学生便覧中の職員名簿に右科目が記載されていたとしても、右(2)のイの説示と矛盾するものではない。)。また、(証拠略)によると、原告は、平成五年八月三日に教育庁で行われた話し合いの席上において、「日本語教授法というのも教えておりますし」「例えば、一年次に日本語表現法を教える。そして二年次の前期で日本語をやり、後期に日本語教授法をやると。そういう流れで今まで来ていたわけです。」「(後期は)教授法がございますから。」等と発言していることが明らかに認められるところ、これらの発言は、原告自身が「日本語教授法」を自分の担当科目であるとの認識を有していたことを示すものというべきである。

(4) よって、原告は、「日本語教授法」をも担当する講師として外語短大に採用されたものと認められる。

(二) 原告は、「日本語教授法」については専門外の科目であったとして、授業の担当の拒否の一つの理由とする。確かに、言語学としての「日本語」に比べると、日本語を母国語としない者に日本語を教える方法は、日本語を通常使用するのみでは習得できず、「日本語」の授業内容と「日本語教授法」の授業内容が異なるものではある。

しかし、もともと短期大学は、四年制大学に比べると、開講される教科内容は、基礎、教養的で広く浅いものが多く必要になるため、短期大学の専任教員は、四年制大学の専任教員に比べると、教育の内容が広くなることは避けられないところである。そして、外語短大における「日本語教授法」は、英語科のみの単科の短期大学における専門科目の二本の新しい科目分野に属するものではなく、従前の一般教育科目と同列の基礎・教養科目の一つとして位置づけられており、半期のものであって、高度な専門的な内容までは求められているとはいえない。また、「日本語教授法」は、比較的新しく学問として認知されているものであり、「日本語教授法」のみで経験を豊富に積んだ専門家による授業は必ずしも要求されていなかった。外語短大としても、語学を専攻した者、日本語学校で勤務した者、文学を専攻した者により、それぞれの専攻分野からアプローチし、「日本語教授法」の研究を深めれば担当できるということを考えていた。(<証拠略>)

一方、原告も、中等教育を大学で専攻し、高等学校で「国語」を教えた実績もあり、かつ在外生活も行ったという経験を有しているから、外語短大が要求する「日本語教授法」の授業の担当が全く不可能であったということはできない。また、仮に原告が「日本語教授法」について相当高度なほどの専門的知識を有していなかったとしても、右のように採用面接において、「日本語教授法」の授業を担当することができ、実績もあると明言し、それを前提として、同科目をも担当する講師として採用されている以上、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならないのは当然であり(教特法一九条一項)、平成二年の採用後平成六年までの四年間「日本語教授法」の研究と修養の時間的余裕も賦与されていたのであるから、専門外であるとの理由をもってその担当を拒否することは許されないものというべきである。

(三) 原告は、担当授業のコマ数及び担当科目数が多く、他の教員よりも負担が重かったと主張し、「日本語教授法」の授業の担当の拒否の一つの理由とする。

しかしながら、そもそも他の教員よりも負担が重いということが、本来自分の担当とされた科目の授業の担当を拒否する正当な理由とならないということはいうまでもないことであるが、所論に鑑み、他の教員との負担の軽重について検討するに、まず、平成二年度ないし平成六年度における専任教員別の担当コマ数は以下のとおりであったと認められる(<証拠略>)。

平成二年度

全専任教員平均 前期三・九コマ

後期四・〇コマ

コマ数が最も多い教員

(高崎教授、湯本助教授、宮武助教授、三國助教授及び前田講師)

前期五コマ

後期五コマ

原告 前期四コマ

後期四コマ

平成三年度

全専任教員平均 前期四・一コマ

後期四・一コマ

コマ数が最も多い教員(湯本助教授)

前期六コマ

後期五コマ

原告 前期四コマ

後期四コマ

平成四年度

全専任教員平均 前期四・一コマ

後期四・一コマ

コマ数が最も多い教員

(高崎教授、木村教授、宮武助教授、三國助教授、前田講師及び吉田雅之講師(吉田講師という。))

前期五コマ

後期五コマ

原告(職務専念義務免除のため担当なし。)

平成五年度

全専任教員平均 前期四・三コマ

後期四・二コマ

コマ数が最も多い教員(前田講師。<証拠略>は採用しない。)

前期五コマ

後期七コマ

原告 前期四コマ

後期四コマ

平成六年度

全専任教員平均 前期四・四コマ

後期四・二コマ

コマ数が最も多い教員(宮武助教授)

前期六コマ

後期五コマ

原告 前期四コマ

後期三コマ

右のとおりであるから、原告が「日本語教授法」を担当したからといって担当コマ数が他の教員よりも格別に多くなるということはできない(なお、任意調整科目である「特別演習」又は「文献講読」のいずれか〔前期後期一コマ〕は、余力がある場合に開講すればよい〔<証拠略>〕。)

また、専任教員別の担当科目数は以下のとおりであったと認められる(<証拠略>)。

平成二年度

全専任教員平均 前期三・二科目

後期三・三科目

科目数が最も多い教員(宮武助教授及び三國助教授)

前期五科目

後期五科目

原告 前期三科目

後期三科目

平成三年度

全専任教員平均 前期三・六科目

後期三・五科目

科目数が最も多い教員

(高崎教授、木村教授、宮武助教授、三國助教授)

前期五科目

後期五科目

(湯本助教授) 前期六科目

後期四科目

原告 前期三科目

後期三科目

平成四年度

全専任教員平均 前期三・二科目

後期三・五科目

科目数が最も多い教員(山崎ゆき子講師)

前期四科目

後期五科目

原告(職務専念義務免除のため担当なし。)

平成五年度

全専任教員平均 前期三・四科目

後期三・一科目

科目数が最も多い教員(三國助教授及び吉田講師)

前期五科目

後期四科目

原告 前期四科目

後期四科目

平成六年度

全専任教員平均 前期二・九科目

後期三・一科目

科目数が最も多い教員(木山教授及び宮武助教授)

前期四科目

後期四科目

(湯本助教授) 前期三科目

後期五科目

原告 前期四科目

後期三科目

原告は、「日本語教授法」の授業を担当すると前期五科目、後期四科目となり、科目数を最も多く担当することになるが、右の中には、「文献講読」及び「特別演習」が含まれ、これらが任意調整科目であることは前記のとおりであるし、また、これらは、教員の個人的、専門的な研究を学生に還元する性格のものであって(平成五年度の内容が原告のドイツにおける在外研究の還元を目的とするものであった(<証拠略>)ことからして、平成六年度も原告の個人的、専門的な研究の還元であることが推認される。)、他の科目と同様に考えることはできない(<証拠略>)。

以上のとおり、原告の担当することになるコマ数及び担当科目のいずれからしても、原告の負担が他の教員に較べて特に重いということはいえない。

(四) 以上のとおりであるから、原告は、平成六年度の前期及び後期の「日本語教授法」の授業の担当を拒否し、その職責を全く果たさなかったものというべきである。

3 平成五年度後期の「日本語」の授業の担当の拒否について

(一) 原告は、平成五年度の「日本語」の後期の授業の担当を拒否していないと主張する。

しかし、原告が平成五年二月二日付け書簡で、「日本語」が前期のみでなく後期にもあるのは了承しかねる旨、自分としては「日本語」は前期のみ一コマでお願いする旨述べて以来、同月一五日付け書簡、同月二二日付け書簡、同年三月六日付け書簡で一貫して「日本語」は前期のみ一コマと頑なに主張し続けており、在外研究から帰国した後においても、同年四月六日の教授会において、「日本語」の後期一コマの授業を担当できない旨表明して以来、一貫して「日本語」後期一コマの授業を担当しないとの頑な姿(ママ)勢を貫いていたこと、そのため、同年八月三日の話し合いにおける教育庁管理部長からの「免除願い」提出の提案となったこと(なお、右の話し合いは外語短大の大学の自治を侵害するおそれのある極めて不適切な行為である。この点は後述する。)、同月九日の教授会において右免除願いは否決されたこと、原告は同月一六日学長に対し右の議決に従わない旨述べて担当拒否の姿勢を変えなかったこと、そして後期の授業開始日の二日前になって角田弁護士らから、授業を担当する旨の書面が届けられたこと及び外語短大が非常勤講師の公募を検討するなどの対応に追われたことは前記認定のとおりである。したがって、原告は、最終的には平成五年度「日本語」後期の授業を担当したとはいえ、直前まで担当拒否を明言してその頑な姿(ママ)勢を貫いたものであるから、その過程において外語短大に混乱をもたらしたといわなければならない。

(二)(1) なお、原告は、岡垣学長から担当科目の変更がない旨の連絡を受けていた等の事情から、突然の変更であり承諾できないと主張するが、教育課程は教授会の議決によって決定されたのであり、原告の承諾がなければ決定できないというわけではないし、セメスター制の導入が平成五年二月一〇日に正式に決定されたこと、原告の担当コマ数に変化がなかったことからすれば、その変更はやむを得ない変更というべきであって、原告主張の事情から、「日本語」の担当を拒否することが正当化されるわけではない。

(2) また、原告は、平成五年八月三日に免除願いを提出することを条件に授業を担当しないとの合意が成立したとも主張し、同月九日の教授会でこれが反故にされたことを授業の担当の拒否の理由ともする。しかし、右の経緯は先に認定したとおりであって、右主張の合意が成立したとは認められないし、そもそも教育課程の決定及びその変更は教授会の権限に属し、学長にその権限はないのであるから、右主張は採用の限りではない。

更に、岡垣学長からドイツ滞在中の原告に送られた書簡に格別虚偽の説明が記載されていたことはなく、原告に対して虚偽の説明があったとも認められない。

4 平成六年度の「日本語」の後期の授業の担当の拒否について

原告が平成六年度後期の「日本語」の授業の担当を拒否したことは、前記二の1の(七)の(4)及び(5)に認定したとおりである。

原告は、自分の意思の確認がなされず、担当させられなかったと主張する。

しかし、原告は、平成六年六月二九日に同年度後期の「日本語」の授業を拒否する意思を表明していたのである。しかも、それ以降の時点においては、原告と岡垣学長、前田講師ら教授会や教務委員会との円満な話し合いがもはや不可能な状態に至っていたのであって、同年九月二一日の教授会まで原告から意思を確認する手続をとることができなかったとしてもやむを得ないものといえる。そして、同年度は既に原告が前期の「日本語教授法」の授業の担当を一方的に拒否していたことを考慮すれば、原告が後期の「日本語」についても一方的に拒否するおそれがあったのであり、学生に対する混乱を避けることが最優先とされる事情にあったというべきであって、後期の授業の開講が迫っており、非常勤講師採用のタイムリミットも切迫していたのである。そうすると、右の教授会において、前期二の1の(七)の(11)に認定した経緯により平成六年度後期の「日本語」の授業について非常勤講師の採用が決定されたのもまことにやむを得ない措置にでたものであると認められる。

5 入試委員の担当の拒否について

(一) 岡垣学長が平成五年四月一四日原告を入試委員に任命し、その職務を担当するよう命じたことは前記二の1の(五)の(1)及び(4)に認定したとおりである。

ところで、(短期)大学の学長は、校務をつかさどり、所属職員を統督する地位にあり(学校教育法五八条三項)、その地位に基づき、重要事項について審議する(同法五九条一項)最高意思決定機関である教授会の意を受けて、大学の運営に関する職務を行う権限を有しているといえる。そして、志願者の中から試験によって入学者を選抜する大学においては、入学試験の実施は重要な意義を有しており、その実施に当たって教員が運営を取り図ることは、大学の運営上必然的に派生する教員の職務というべきであるから、学長が原告を入試委員に任命し、その職務を命じたことは正当な行為である(学則三〇条、教授会規程一一条、入試委員会規程(<証拠略>)三条)。

ところが、原告は、平成五年四月二八日に開催された入試委員長を選出するための入試委員会の会議に出席することを拒否した(前記二の1の(五)の(5))。更に、平成五年度の入試委員会の開催については、入試委員長である鈴木教授の指示により、事務局教務課職員大槻憲一が、開催ごとに、B五判用紙一枚に、日時、場所、議題等を記載し、原告を含む入試委員五名の連絡用ボックスに開催通知を入れて通知していたところ、原告が右入試委員会に一度も出席しなかった事実が認められるのである(<証拠略>)。これは教授会から委任を受けた学長の大学の運営に関する命令に従わなかったものであるといわざるを得ない。(<証拠略>)

(二) 原告は、入試委員と作問委員との兼任が禁止されていたと主張するので検討する。

作問委員とは、入学試験の問題を実際に作成する委員をいい、入試委員とは、入学試験の基本方針の立案、作問委員及び採点者の推せん、試験の管理運営、合格者選定基準案の作成、合格候補者及び補欠合格者の名簿作成等、問題の作成以外の職務を行う委員をいう(<証拠略>)が、昭和五七年四月一四日の教授会において、「入試委員会は、学長とともに入試に係る対外的な全責任を負うものとする。また、作問委員は、出題内容に対し当然大学に責任を負う。従って、入試委員会は、作問委員を推せんするにとどまらず、出題等に対し選択権もあるものと解し、また、内容等に対し折衝もできる。この原則を確認し、入試委員と作問委員は区分することが望ましいが、兼務する場合には、入試委員と作問委員のそれぞれの立場に立つものとすることとする。」ことが承認された(<証拠略>)。

しかし、右の承認事項によれば、入試委員と作問委員の立場が異なること及び入試委員と作問委員は兼務しないことが望ましいこととされてはいるものの、入試委員と作問委員が兼務することも認められていることは明らかである(照木元教授も、兼任があり得ること自体は認める陳述をしている(<証拠略>)。)。しかも、外語短大の入試委員会規程(昭和四四年五月二八日に制定された後、昭和五〇年、昭和五四年及び昭和六三年に改正されている。)によれば、入試委員会は、五人の委員によって組織されること(二条一項)、委員は学長が任命すること(第三条)のほかに特に規程は設けられておらず、入試委員と作問委員との兼任が禁じられていたとは認められない。作問委員と入試委員とはその職務が完全に区分されるものではなく、問題の検査には両委員が協力して当たっており、外語短大の入試科目に社会科(世界史)が存在した昭和六二年度までは、諏訪教授が入試委員と作問委員を兼ねていたことが認められる。(<証拠略>)

なお、英語の作問委員と入試委員とは別個であることは認められるが、外語短大においては英語関連科目の教員が七名であって、その全員で作問がなされていたのに対し、国語関連科目の教員が原告一名のみであった(<証拠略>)ことからすると、英語と同列に論じることはできない。むしろ、作問委員は原則として学内専任教員の中から選任されることとされ、一方、入試委員も、大学の運営にかかわる重要な役職であり、試験科目の専任教員が就任することが望ましいということにも相当な理由がある。原告の右主張は理由がない。

(三) ところで、原告と他の専任教員と比較した場合の委員会の担当数を比較すると、次のとおりであったと認められる(<証拠略>)。

平成二年度

全専任教員平均 四・二

担当数が最も多い教員

(宮武助教授) 六

原告 二

平成三年度

全専任教員平均 四・八

担当数が最も多い教員

(高橋教授及び岡垣教授) 八

原告 二

平成四年度

全専任教員平均 三・七

担当数が最も多い教員

(高橋教授及び木村教授) 七

原告(職務専念義務免除のため担当なし。)

平成五年度

全専任教員平均 三・二

担当数が最も多い教員

(高橋教授及び鈴木教授) 六

原告 三

平成六年度

全専任教員平均 四・一

担当数が最も多い教員

(高崎教授及び鈴木教授) 八

原告 一

右によれば、担当の委員会によって繁閑の差こそはあるものの、少なくとも原告の担当数が他の専任教員に比較して格別多く、負担が過重であったと認めることはできないから、原告が入試委員の職務を行わず、専任教員としての当然の義務を怠り、大学の運営に支障を生じさせたことについて非難を受けるのは当然である。

6 教授会の議事の妨害の有無について

(一) 教授会は、大学の運営の最高意思決定機関である。このことは、学校教育法五九条が、重要な事項を審議するために教授会を置くことと定めていることからも明らかである。そこでは、各構成員が自由闊達に議論した上で大学の運営を民主的に決するのであって、各構成員が各自の信条に基づき、自己の意見を提出することができるよう一定の規律に則って運営がされなければならないし、逆に、教授会が大学の自治を守る最後の砦としての機能も果たしているから、自己の意見の提出が妨げられるようなことがあってはならない。

(二) 右の観点から、被告らが問題とする各教授会における原告の言動等について検討する。

(1) 平成五年四月六日の教授会

前記認定事実から同日の教授会における原告の言動を検討すると、原告の言動は、議長の制止を聞き入れないなど、外語短大の教授会としては異例なものであったものの、原告が帰国後初めて開かれた教授会であったこと、カリキュラム等の大幅な変更があったのであり、その点について説明を求めることもやむを得ないと考えられるから、原告の陳述時間が長くなったとしてもやむを得ないものというべく、これをもって右教授会の議事を妨害したと評価することはできない。

(2) 平成五年六月一六日の教授会

同日の教授会における原告の言動は前記認定のとおりである。しかし、右認定の原告の言動によっても、教授会の議事が一時的に停滞することがあったことは否定できないが、それは議論の一環というべき程度のものであり、これをもって議事を混乱させたと評価するのは相当ではない。

(3) 平成六年二月一八日の教授会

同日の教授会の模様は前記認定のとおりであるが、被告らは、原告が、配付された資料の回収に応じないで持ち帰ったことを問題とする。しかし、右の資料は原告に対して辞職を勧告するという内容の「服務及び大学教員としての在り方についての勧告案」であって、原告の身分に関わる極めて重要な書面であり、しかもそのとおり可決されたのである。加えて、右の書面は原告に対して回答を求める趣旨の記載をも内容とするものであり、原告としても回答する必要があるのであるから、原告がこれを持ち帰ったとしても、強い非難に値するものということはできない。

(三) そうすると、被告ら主張の各教授会において原告が議事を妨害し、混乱させたということはできないから、この点についての被告らの主張は理由がない。

7 学内問題の学外への働きかけについて

(一) 大学においては、前述のとおり教授会がその自治を担う最高意思決定機関としての役割を果たすと同時に、自治を守る最後の砦というべき役割をも果たしている。教授会の意思決定に基づいて内部における自治が図られることが大学の運営には必要不可欠であり、外部からの干渉は、自治を侵すものとして排除されなければならない。特に、大学の教員の人事に関する事項については、その者が最高意思決定機関である教授会の構成員であることから、外部からの圧力、干渉が加えられてはならないし、大学は、そのような圧力、干渉に屈してはならない。まして、教授会の構成員が外部に働きかけることによって特定の教員の処分を求めたり、教授会の議決により決定された事項の改変を画策する等の行為に及ぶことは、大学の自治を担うべき立場にある者が自ら大学の自治を蹂躙するものというべきであって、およそ許されることではない。

(二) 原告の学内問題の学外への働きかけに関する行為についてみるに、原告は、前記認定のとおり、<1>平成四年二月二八日付けの書面により、教育庁の飯田管理部長に対し、原告の在外研究に反対していた三國助教授及び坂本助手が在外研究申請書類を持ち出したと指摘し、両名を教育庁に呼び出した上、在外研究に何故に反対するのか、右書類をどのように持ち出したかを、原告同席の上、事情聴取されたい旨依頼した(前記二の1の(三)の(4))、<2>平成五年三月一〇日付け書面により、飯田管理部長に対し、原告の担当科目について事前連絡がないままに追加変更され、説明も拒否されていることは「在外研究及び教授権に対する意図的な侵害」であると指摘し、特定の教員の名を挙げた上、これらの教員に「陰湿で卑劣」な在外研究妨害があったと述べて、「詳しくは帰国後にご相談にまいりたいと存じますが、あらかじめ厳正なご調査とご処置をお願いする」と伝えた(同二の1の(四)の(10))、<3>平成五年四月九日付け書面で、木下教育長に対し、外語短大では女性蔑視、人権無視の違法がまかり通っている、原告の在外研究に対する妨害があり、在外研究申請書類の持ち出しや女性蔑視の暴力団まがいの脅しが原告に加えられた、投書等対策委員会の不正に対し、県として厳正な処分を願う旨通知した(同二の1の(五)の(2))、<4>平成五年四月一三日神奈川県飯田福祉部長(前教育庁管理部長)を訪れて同部長に面談し、投書等対策委員会問題、タクシーチケット不正使用問題、在外研究妨害問題、原告の授業担当問題、無届け非常勤出講問題調査の妨害問題について調査して貰いたいと申し入れた(飯田福祉部長は、これを後任の教育庁久保管理部長に伝達した。同二の1の(五)の(3))、<5>平成五年五月二一日付け内容証明郵便により、木下教育長に対し、カリキュラムの追加変更は原告の在外研究に対する執拗な妨害の一環であること、その根源には女性差別があること、執拗な妨害は原告の名誉及び人権を傷つけるものであることを理由に同年度後期の「日本語」の授業一コマは担当しない旨通知するとともに、これに対する教育長の見解を一〇日以内に書面で回答するように求める通知をした(同二の1の(五)の(6))、<6>平成七年七月三日付け書面で、神奈川県知事に対し、在外研究から帰国後も嫌がらせは続き、ますますひどくなっているところ、宮森副知事や教育長に手紙でお願いしたが一向に改善されていないと述べ、女性教員に対する人権侵害が続き、県の認可が下りる前に大学生協の営業を始め、教授会の議事録も学長によって改変される等の無法状態が続いていると伝え(同二の1の(五)の(8))、<7>平成五年七月一一日付け書面で、宮森副知事に対し、原告に対する女性差別による嫌がらせが二年間続いている、教育長にお願いの手紙を出したが一向に改善されないばかりか、ますますひどくなっている、学長は原告の懲戒処分を口にしている、外語短大には無届け非常勤出講問題や経理処理上の疑惑、認可前の大学生協の営業、教授会議事録の改変等の問題があると指摘し、原告が教授会で是正を申し入れたところ、学長は原告を愚弄し、名誉を傷つけるような勝手な運営をし、原告や支援する教員の処分までも口にした、もはや憲法不在の大学となっており、緊急の事態なので、原告に対する問題や数々の疑惑を解明するために第三者による調査委員会を県の指導によって設けるよう願う旨通知した(同二の1の(五)の(11))、<8>平成五年八月三日に教育庁管理部長の仲介により、岡垣学長、教育庁の担当者、原告及びその代理人が「日本語」の授業担当問題で話し合いを行い、管理部長から教授会に「日本語」授業担当の免除願いを出してはどうかとの提案があり、岡垣学長も免除願いを教授会の議案として提案することを承諾した(同二の1の(五)の(12))、<9>平成五年一二月一四日付け書面により、木下教育長に対し、平成五年度後期の「日本語」及び平成六年度の「日本語教授法」の授業の担当とされたことは「異常な事態」であり、「日本語教授法」を無理やり持たせようとしていることは、大学浄化を訴えてきた原告に対する嫌がらせであり、これまで我慢に我慢を重ねてきたが、このような無法なふるまいに対して我慢の限界に達した、事態を把握している教育長としての明確な裁断を仰ぎたいと前置きした上、無届け非常勤出講問題で辞表を出した武上講師に対して嫌がらせが行われている、武上講師以外の教員の無届け非常勤出講問題はすべて黒い霧の中に隠されていると述べ、原告に「日本語教授法」を持たせることに賛成した教員の中に何人無届け非常勤出講をしている教員がいると思われますかと問い掛け、更に、原告は浄化された後の教授会の決定には従うが、教特法を犯して平気でいる教員のいる教授会の決定には従わない、四月から何度も手紙を書いたが事態は一向に改善されていないばかりかむしろ悪化している、教育委員会が仲介の役割を果たす時期は過ぎた、岡垣学長の言い分が正しいか、原告の意見が正しいか、明確な意見表明を願うと述べ、加えて、大学浄化が一向になされず、「日本語教授法」を無理やりやらされる場合には、直接県民にこれまでの経過を訴え、判断をあおぐ覚悟をしていると通知した(同二の1の(六)の(3))、<10>同日付けの書面により、久保管理部長に対し、右<9>と同一内容の通知をした(同二の1の(六)の(3))、<11>平成六年一月二三日付け内容証明郵便により、木下教育長に対し、(情報公開問題について)岡垣学長は教授会議事録の情報公開請求に関し、請求者のプライバシーを明らかにしたが、これは教育庁(ママ)から学長に伝わったのではないか、教授会での議論前に非公開が決まっていたのではないか、誰が指示したのか、(無届け非常勤出講問題について)無届け非常勤出講問題の調査はどのようにされたのか、処分はどのようになるのか、教育庁(ママ)がこの問題を放置してきたのはなぜか、無届け非常勤出講は職務専念義務に違反しないのか、(嫌がらせ問題)原告に対する嫌がらせがあるが、教育長としてどのように考えるか、(経理問題)外語短大では一度も教授会で決算報告がなされていないが、教育長は教員に決算報告を教員に見せるなと指示しているのかと質問をして、教育長の明確な回答を求める旨通知するとともに、その書面の写しを知事及び副知事に送付した(同二の1の(六)の(6))、<12>平成六年二月二二日付け書面で知事及び副知事に対し、同月二五日付け書面で木下教育長に対し、それぞれ、同月一八日の教授会の勧告は絶対に受け入れられないこと及び「今後も引き続き大学の浄化のために微力を尽くす所存であ」ると連絡した(同二の1の(六)の(8))、<13>平成六年四月四日付け書面により、知事、副知事及び木下教育長に対し、岡垣学長から平成六年度教育課程で定められた教授会決定どおり「日本語教授法」の授業を担当するよう通告されたこと及びこれに対して反論したことを報告するとともに「外語短大が一向に正常化されていないことは誠に残念なことです。何分にもよろしくお願いいたします。」と伝えた(同二の1の(六)の(11))、<14>平成六年六月一四日付けの書面により、木下教育長に対し、原告に対する嫌がらせが悪化していると主張した上、「外語短大を管理監督する責任者である教育長に対してお願いしてきたが、改善されず悪化している、原告の人権を侵害している岡垣学長らの暴走を再三にわたり黙認した教育庁(ママ)の人権感覚を疑う、国籍、身分、性別などで差別されない正常な事件感覚こそ教育庁(ママ)に求められている」と抗議した上、授業の担当は原告主張のとおりに戻す、投書等対策委員会の報告と辞職勧告を撤回する、懲戒審査委員会をすぐに廃止する、教授会を民主的に運営し教授会議事録をきちんとするとの原告の最低条件を提案した(同二の1の(七)の(4))、<15>平成六年七月五日に知事、宮森副知事及び木下教育長に対し、原告代理人の伊藤弁護士及び芳野弁護士が岡垣学長に対して懲戒審査委員会の設置を撤回するように求めた内容証明郵便のコピーを同封した書面を送り、「何卒よろしくお願い申し上げます」と述べた(同二の1の(七)の(6))ことの各事実が認められるのである。

右の各事実に加えて、(証拠略)によると、木下教育長は、平成七年七月ころ、これまでの原告の要求に応じる形で原告に対し、「先に、神奈川県立外語短期大学における教育課程の問題を始めとした大学内部の管理運営に係る懸案事項につきまして、その解決に向けて、ご希望をいただいたところですが、この度、別添のとおり調整案を提示いたします。つきましては、この調整案についてお考えを伺いたいので、七月二六日(火)一四時三〇分に御来庁願います。なお、大学にも本日付けで、この調整案を送付したことを申し添えます。」との書翰を発したこと、そして、添付された「調整案」には、「岡垣学長と原告は、平成五年三月五日の投書等対策委員会の報告及び平成六年二月一八日の『服務及び大学教員としての在り方についての勧告』については、決着したものとする。」(決着条項という。)及び「岡垣学長は、平成六年六月一日に設置された『懲戒審査委員会』を、当分の間、凍結する。」(凍結条項という。)との「教授会等の決定事項の扱い」に関する条項が含まれていたことが認められる。

(三) 右にみた原告の一連の行動は、大学内部の問題であって本来は大学の自治の範囲に属する事項について、外語短大の設置者である被告神奈川県、教育長及び所部の職員による調査、事情聴取を求め、「厳正な処置」、「厳正な処分」を求め、学内問題に対する教育長の見解を期限つきで回答するように求め、第三者による調査委員会の設置を求め、質問をし、抗議したりして、執拗に権力の介入を求めるものである。そして、上来(ママ)認定の経過に照らすと、原告の教育長及び管理部長に対するこれらの行動は、権力の介入によって教授会の決定を覆すことを企図したものであり、知事及び副知事に対する行動は知事及び副知事の力を利用して教育長による権力介入を図ろうとしたものと認められる。これらの行為は、およそ大学の自治の担い手である専任講師がとるべき行動ではない。原告の右各行為は、大学の自治を侵し又は侵すおそれのある行為というほかはない。特に、右(二)の<8>の平成五年八月三日の岡垣学長、教育庁担当者、原告及びその代理人との話し合いにおいて、管理部長から「日本語」授業担当の免除願いを提出してはどうかとの提案があったのであるが、もとより、教育課程の決定及びその変更は外語短大の最高意思決定機関である教授会の権限に属するものであって、学長といえどもこれを侵すことのできないものである。管理部長の右提案は、それが設置者側からの提案であるだけに、受取り方によっては教育庁(ママ)が免除願いを認めるようにとの意向を持っていると誤解されかねないものであって、大学の自治に対する侵害の可能性のある極めて有害な行為である。また、学長も免除願いを教授会の議題とすることを承諾したのであるが、これも設置者側の権力に屈したものと受け取られかねない行為である。これらの行為は、ひとえに原告の働きかけから出たものといえる。また、教育長は、右認定の決着条項及び凍結条項を含む調整案を岡垣学長及び原告に提示したのであるが、そのうちの決着条項は、教授会決議によって設置された下部機関である投書等対策委員会報告及び教授会の決議によって採択された「服務及び大学教員としての在り方についての勧告」は「決着した」ものとして今後問題としないというものであるが、右勧告は、原告に対して事実上辞職を勧告するものであるから、これを「決着した」とすることは、教授会により議決された決議の否定につながるものというべきである。また、凍結条項は、これまた教授会の議決により設置された下部機関である懲戒審査委員会の活動を停止するというものであるから、教授会により議決された決議を否定するものといわなければならない。もとより、右調整案は、岡垣学長と原告の双方の合意により本件の懸案事項の解決を図ろうとするものではある。しかし、都道府県の教育長は、文部大臣の承認を得て都道府県教育委員会により任命され、教育委員会の指揮監督の下に、教育委員会の権限に属するすべての事務をつかさどり、教育委員会のすべての会議に出席して議事について助言し、教育委員会事務局の事務を統括し、所属の職員を指揮監督するものであって(教特法一六条一項、二項、一七条一項、二項、二〇条一項)、その権限は教育委員会に由来するものの、被告神奈川県における教育行政の頂点に立つ職といって妨げないのである。したがって、そのような職である教育長がいかに双方の同意を前提とするものとはいえ、教授会の決定を否定し、又はその否定につながる調整案を提案すること自体が不当であって、教授会の決定に対する権力の介入というべく、外語短大の大学の自治を侵すものといわざるを得ない。そして、この教育長による大学の自治の侵害は、右(2)の<14>の最低条件の提案を含む原告の執拗な働きかけによってもたらされたものと認められるのである。

8 同僚教員の誹謗中傷の有無について

前記認定の各事実からすると、原告は、平成四年二月二八日付けで飯田管理部長に送付した書面(末尾添付の<証拠略>)及び平成五年四月九日付けで木下教育長に送付した書簡に末尾添付の(証拠略)を同封したことにより、同僚教員を誹謗中傷して、その名誉を毀損したこと、平成五年六月一六日の教授会では湯本助教授について(前記二の1の(五)の(7))、平成六年一月二六日の教授会では諏訪教授について(同二の1の(六)の(5))、それぞれ前認定の発言をした事実が認められる。しかし、教授会は大学の自治を担う構成員の意思に基づいた自由な討論が保障されるべきであって、他の構成員の名誉を害するようにもみえる発言であってもそれを直ちに違法な名誉毀損行為と評価するのは相当ではない。右の各発言はいずれもことさらに議論の対象になっていない点をとらえてなされたものとは認められないし、右各発言に至るまでの経緯や発言の内容及び状況からして、各教授会に出席した構成員も、それほど真摯な発言とは受け取っていなかったことが窺えるから、右各発言をもって右両教員を誹謗中傷する名誉侵害行為とまではいえない。一方、右の飯田管理部長及び木下教育長に対して書面及び書簡等を送付した行為は、大学の内部で自主的に解決すべき事項について一方的な見解に立脚して教員の誹謗をしたものあるから、当該教員を誹謗中傷する違法な名誉毀損行為というべきである。

9(一) 地公法二八条所定の分限制度は、公務の能率の維持及びその適正な運営の確保の目的から同条に定めるような処分権限を任命権者に認めるとともに、他方、公務員の身分保障の見地からその処分権限を発動しうる場合を限定したものである。分限制度の右のような趣旨、目的に照らし、かつ、同条に掲げる処分事由が被処分者の行動、態度、性格、状態等に関する一定の評価を内容として定められていることを考慮するときは、同条に基づく分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をすることが許されないのはもちろん、処分事由の有無の判断についても恣意にわたることを許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、また、その判断が合理性を持つ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤った違法のものであることを免れないというべきである。そして、任命権者の分限処分が、このような違法性を有するかどうかは、同法八条八項にいう法律問題として裁判所の審判に服すべきものであるとともに、裁判所の審査権はその範囲に限られ、このような違法の程度にいたらない判断の当不当には及ばないといわなければならない。

これを同法二八条一項一号及び三号所定の処分事由についてみると、三号にいう「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、当該公務員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に起因してその職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうものと解されるが、この意味における適格性の有無は、当該公務員の外部に現れた行動、態度に徴してこれを判断すべく、その場合において、個々の行為、態度について、その性質、態度、背景、状況等の諸般の事情に照らして評価すべきことはもちろん、それら一連の行動、態度については相互に有機的に関連づけてこれを評価し、更に当該公務員の経歴や性格、社会環境等の一般的要素をも考慮する必要があり、これら諸般の要素を総合的に検討した上、当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連においてこれを判断すべきである(最高裁判所昭和四八年九月一四日第二小法廷判決・民集二七巻八号九二五頁)。また、一号にいう「勤務実績が良くない場合」とは、当該公務員の素質、能力、性格等に起因しているものに着目するのではなく、当該公務員の勤務の結果に着目して客観的にみた場合に、当該公務員の勤務実績が良くない場合をいうものと解すべきである。

(二) そこで、先ず、原告に同法二八条一項一号所定の事由があるか否かについて検討するに、原告は、自分の職責である平成五年度後期の「日本語」の授業の担当を頑なに拒み、そのために教授会が原告に代わる非常勤講師の採用を検討するなどの対応に追われて外語短大に混乱をもたらしたこと、原告が平成六年度後期の「日本語」の授業の担当を拒否し、そのために外語短大が非常勤講師を採用せざるを得なかったこと、原告は、平成五年四月二二日に入試委員に任命され、学長から入試委員としての職務を行うよう命じられたにもかかわらず、これを拒否してその職務を行わなかったこと、原告は「日本語教授法」の授業を担当する講師として採用されながら、平成六年度前期及び後期の授業の担当を拒否したこと、そのために平成六年四月一一日及び同月一八日の同科目の授業を開講することができず、学生に多大な迷惑を掛けるとともに、外語短大に対し大きな混乱を生じさせたことは、いずれも先に認定したとおりであり、原告は自らの意思でその職責を放棄してこれを尽くさなかったこと等の事情を考慮すると、原告はその勤務実績が良くないものというべく、原告には同法二八条一項一号所定の処分事由がある。

次に、原告に同条一項三号所定の事由があるか否かについて検討するに、原告は、大学教員として最も基本的かつ最優先的な職責である授業について、その担当を拒否し、教授会の構成員として従事すべき入試委員の職責を尽くさなかったものであるから、大学教員としての自覚と協調性に欠けるところがあるといわざるを得ない。そして、右の職責を免れるために原告が取った行動は、他の迷惑を一顧だにせず、大学の自治の中心的存在である教授会を無視ないし軽視し、牽強付会の論に終始し、独善的で主観に偏し自己中心的な主張に固執して、同僚教員等の意見や説得を正解せず、独自の見解から排斥して譲ることをせず、自分の主張を認めさせるために県知事や教育長の権力を積極的に利用しようとしたというものである。また、学内問題を教育長等の学外者に働きかけるために送付した書面や書簡等の内容は、極めて一方的かつ独善的な見方に立って外語短大を難じ、自己に偏した主張を展開するとともに、多数の同僚教員を誹謗中傷する内容を含むものである。しかも、原告が働きかけた相手方は知事及び教育長ないし教育庁幹部であって、これは大学の自治を守る砦ともいうべき教授会で自主的に解決するという方法を顧ることをせず、行政権力の介入により教授会の決定を覆そうとの意図から出たものと解されるのであり、ここに、原告の権威主義的、自己中心的な性格をみることができ、そこには、大学教員として忘れてはならない大学の自治に対する理解やこれを守ろうとする姿勢をみることができず、大学教員としての自覚に欠けるものといわざるを得ない。そして、以上にみた原告の行動は、その経緯や態様からみても、特別な動機や偶発的な事情によりなされたものではなく、たやすく矯正することのできない持続性を有する独特の素質ないし性格に起因するものと認めるのが相当であり、そして、そのために、現実に職務の円滑な遂行に支障が生じたものであり、これからも同様の支障が生じる高度の蓋然性があるものと認められる。もとより、学問の府である大学においては、多様な人材が切磋琢磨し、専門的学芸の分野を究めるべきものであるから、様々な個性に対して寛容であることは必要であるが、原告の行動から客観的に認められる原告の素質及び性格は、狷介孤高にして人を容れず、独善的かつ自己中心的で協調性を欠くものであって、右の点を考慮に容れてもなお、大学の正常な運営を妨げるものと評価せざるを得ないのである。なお、原告は、抜群の教育及び研究実績があり、大学教員としての適格性に欠けるところはない旨主張する。しかしながら、大学の教員は、「広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」又は「深く専門的学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成すること」を主な目的とする学舎に向学の志に燃えて入学した学生に学問を教授し、その能力を展開させ、育成するということが最も重要な職務であって、これを疎かにすることは許されることではない。のみならず、大学の運営が教授会を最高意思決定機関として行われる所以は、学問の自由及び大学の自治の保障にあるのであって、教授会の構成員が大学運営の職務を分担することは、大学の自治の担い手である大学教員として、また、組織の一員としての当然の義務である。原告は、先に認定したとおり、授業の担当を拒否して学生に対する学問の教授を放棄し、教授会を構成する教員の一人としての組織運営の職務分担を拒否したのであるから、原告の右主張を考慮に容れてもなお、原告は、大学教員としての適格性を欠くものといわざるを得ない。

以上によると、原告は、大学教員としての適格性を欠くものというべきであるから、地公法二八条一項三号所定の処分事由がある。以上によると、争点2に関する被告らの主張は理由がある。

三 争点3(手続の瑕疵の有無)について

1 大学の教員は、大学管理機関の審査の結果によるのでなければその意に反して免職されることはなく、その免職は大学管理機関の申出に基づいて任命権者が行うものとされ(教特法六条一項、一〇条)、大学管理機関は、教員の免職について審査を行うに当たっては、審査を受ける者に対して審査の事由を記載した説明書を交付しなければならず、その者が右説明書を受領した後一四日以内に請求した場合には、その者に対し、口頭又は書面で陳述する機会を与えなければならないものとされている(同法六条二項、五条二項、三項)。ところで、原告に対する外語短大の管理機関である教授会の審査及び被告教育委員会の審議の経緯は先に認定したとおりである。すなわち、教授会は平成六年二月一八日の教授会において「服務及び大学教員としての在り方についての勧告」を議決した。それにもかかわらず原告が同年四月一一日の「日本語教授法」の授業を拒否した経緯をたどり、同月二〇日の教授会において原告に対する処分の可否等の調査を行う審査委員会の設置が提案されたが、人事委員会にその検討が付託され、人事委員会において検討した結果、原告には地公法二九条に違反する疑いがあるとの結論が得られた。同年六月一日の教授会において懲戒審査委員会の設置が議決され、選挙により五名の委員が選出された。懲戒審査委員会は、同年七月二九日の教授会において、それまでの調査結果に基づいて中間報告を行い、更に、調査を続行した上、原告には懲戒免職に付すべき事由があるとの考えをまとめ、平成七年二月二八日の教授会に報告するとともに、教特法六条二項、五条二項所定の審査事由説明書の案を提出した。右教授会において、懲戒審査委員会から審査事由説明書に基づいて審査の経過等が報告、説明された後、審議がなされ、投票の結果審査事由説明書案が承認された。右審査事由説明書には、教特法六条二項、五条三項所定の陳述請求に関する教示文言が付記された上、原告あてに郵便で送付され、原告は、これを同年三月三日に受領した。その後、同月八日に原告の代理人から外語短大に対して質問状が送られた。岡垣学長は、同日の教授会において、右質問状が送られてきたことを報告し、教授会は、右質問状に対する回答書の作成及び回答手続を岡垣学長に一任した。岡垣学長は、教授会の一任に基づき、懲戒審査委員長と協議の上、右質問状に対する回答書を作成の上、これを原告代理人に送った。教特法六条二項、五条三項所定の請求期間の終期は同年三月一七日であるが、その二日前の同月一五日に開催された教授会において、原告が審査事由説明書に対して釈明しようとしたが、岡垣学長は弁明の機会は別に与えられている旨述べてこれを遮った。原告は、同日付けの反論書及び抗議文を岡垣学長に内容証明郵便で送り、右各書面はいずれも、右請求期間内である同月一六日に外語短大に配達された。陳述請求の終期である同月一七日までに原告からの同法所定の陳述請求はなされなかった。外語短大は、同月二二日の教授会において、審査事由説明書のほか、原告代理人から送付された右質問状、これに対する教授会からの回答書、原告から送付された右反論書及び抗議文の写しが出席者に配付された上、審査が行われた。そして、審査事由説明書どおりの内容で原告を分限免職にすることが投票に諮られ、賛成一四票、反対一票の賛成多数により、右議案が承認された。岡垣学長は、同月二三日、教特法一〇条の規定に基づき、本件処分について被告教育委員会に内申した。被告教育委員会は、同年四月四日委員会を開催して原告に対する本件処分について審議し、原告を地公法二八条一項一号及び三号により神奈川県公立学校教員を免ずるとの本件処分をした。

右にみた教授会の審査の経緯及び被告教育委員会の審議の経緯に照らすと、その過程に手続違背の違法は認められない。

2 原告は、懲戒審査委員会は恣意的に設置され、構成も公正でないと主張するが、右認定の経緯に照らし、右主張は採用することができない。更に、原告は、懲戒審査委員会は原告からの事情聴取を行っていないと主張するが、審査を受ける者の陳述に関する事項は、教特法六条二項、五条三項の規定するとおりであるところ、懲戒審査委員会は教授会規程に則り教授会の議決により設置された教授会の下部機関にすぎないから、その審査の過程において審査を受ける者からの事情聴取は必要ではない。その他、懲戒審査委員会における審査の過程に違法の廉を見いだすことはできない。原告の右主張は採用することができない。

3 原告は、教授会における手続も違法であると種々主張するが、前記認定の審査経過に照らして、所論の違法は認められない。なお、原告は、教授会において弁明の機会が与えられなかった旨主張する。しかしながら、審査を受ける者の陳述に関する事項は、教特法六条二項、五条三項に規定するとおりであって、同法は、右に規定する手続以外に審査を受ける者の弁明を聞くことを要求していないところ、原告が教示された右請求期間内に教授会に対して口頭又は書面による陳述を請求した事実は認められない(平成七年三月一五日の教授会における原告の発言をもって、その請求とみることはできない。)上に、原告及びその代理人は、請求期間内に右のとおり質問状、反論書及び抗議文を教授会に送付して提出しているのであるから、右主張は採用することができない。

4 次に、原告は、被告教育委員会における手続には瑕疵があり違法であると種々主張するが、前記認定の審議経過に照らして、所論の違法は認められない。なお、原告は、被告教育委員会における審議においても、原告に弁明と防御の機会を与えるべきであると主張するが、先に見た教特法の各規定によると、同法は、学問の自由と大学の自治を保障するため、大学の教員に対する分限処分は大学管理機関において実質的な審理を行うべきものとしていると解されるから、大学管理機関の審査事由の審査に当たって口頭又は書面による陳述の機会が与えられている以上、それを超えて、任命権者が審議に当たり、当該公務員に弁明や防御の機会を与える必要はないと解される。更に、原告は、被告教育委員会は大学管理機関の申出に追従する必要はなく、分限免職の内申を退けることは大学の自治に反するものではないところ、本件処分はその理由とされた事由と処分結果の比較からして、相当とされる理由を欠くから、被告教育委員会としては、本件処分をすべきではなかったのであり、本件処分には裁量権の濫用があって、違法であると主張する。しかしながら、学問の自由と大学の自治の精神に照らすと、任命権者が大学の教員について、大学管理機関の申出に基づいて分限の処分を行うに当たっては、その申出が明らかに違法無効となるべき客観的事実が認められない限り、その申出に覊束され、申出と異なる処分を選択したり、申出を拒否したりする権能はないと解するのが相当である。そして、本件処分についての申出が明らかに違法無効となるべき客観的事実を認めることはできないし、その他、本件において取り調べた証拠によっても、本件処分が任命権者の裁量権を濫用したものであることを示す事実を認めることはできない(大学教員としての適格性がないとして分限免職されるということは、原告に対し、労働者としても、また、研究者としても極めて重大な結果をもたらすものであることはいうまでもない。しかしながら、原告の前記言動は先に述べたとおり評価されるのであるし、しかも、原告に対しては、平成六年二月一八日の教授会において「服務及び大学教員としての在り方についての勧告」の議決がなされたのにかかわらず、その後においても、原告は、木下教育長に対し、学内問題について積極的な介入を求める書面を送付しているほか、平成六年度前期の「日本語教授法」の授業の担当を拒否して学生と外語短大に迷惑と混乱をもたらし、同年度後期の「日本語教授法」及び「日本語」授業の担当を拒否する等の行為に及んでいるのであって、これらの言動が原告の前記素質や性格に起因すると考えられることを考慮すると、原告を分限免職とする本件処分は、まことにやむを得ないものというべく、被告教育委員会に裁量権の濫用があるとはいえない。)。原告の右主張も採用することができない。

四 争点4について

原告は、本件処分は原告を外語短大から排除する不当な目的のもとになされたと主張するが、原告に地公法二八条一項一号及び三号所定の処分事由が認められることは前述のとおりであり、本件において取り調べた証拠を総合しても本件処分が右の目的のもとにされたと認めるに足りないから、原告の主張は理由がない。

五 争点5(不法行為の成否)について

以上にみてきた経緯からすれば、原告主張に係る教授会の決議及び被告教育委員会の本件処分が不法行為を構成すると認めることはできない。また、岡垣学長が平成七年一〇月一二日の全国公立短期大学の学長会において、求めにより本件処分の経過を説明したこと(前記二の1の(一〇)の(2))並びに同年四月一三日の二年次生の就職説明会において本件処分について触れたこと及び外語短大の職員が学内に本件処分に関連する掲示をしたこと(同二の1の(一〇)の(1))は、いずれも正当な業務行為であって、原告に対する不法行為を構成しない。他に原告の主張事実を認めるに足りる証拠はなく、争点5に関する原告の主張はその余の点について判断するまでもなく、理由がない。

第四結論

以上の認定及び判断の結果によると、原告の請求は理由がないから、いずれもこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邉等 裁判官 森髙重久 裁判官 島戸純)

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